名前👤 | 誕生日⏳ | 命日⌛ | 年齢❤ | パート🎷 | ジャンル📖 | 出身🌏 |
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1959年12月22日 | 1959年12月22日 | ベース | ジャズ | us |
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フランク・ワイルドホーン
Frank Wildhorn アメリカのミュージカル・ポピュラー音楽作曲家。代表作『ジキル&ハイド』ブロードウェイで4年間上演され、ホイットニー・ヒューストン「Where Do Broken Hearts Go」(1988) 全米1位を獲得した。
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1959年11月29日 | 1959年11月29日 | 作曲家 | ミュージカル | us |
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シンディ・ブラックマン・サンタナ
Cindy Blackman Santana アメリカのドラマー。バークリー音楽大学でアラン・ドーソンに師事し、天才トニー・ウィリアムスの指導も受けた。1993年、レニー・クラヴィッツ「Are You Gonna Go My Way」で一躍有名になり、18年間クラヴィッツのツアードラマーとして活躍した。ファラオ・サンダース、ロン・カーター、サム・リヴァース、カサンドラ・ウィルソン、ビル・ラズウェルなどのレコーディングに参加。2010年、カルロス・サンタナと結婚した。
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1959年11月18日 | 1959年11月18日 | ドラム | ジャズ | us |
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カナダ・オンタリオ州キングストン出身のシンガーソングライター。19歳でA&Mレコードと契約。
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1959年11月5日 | 1959年11月5日 | 男性歌手 | ポップ | ca |
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ユッスー・ンドゥール
Youssou N'Dour |
1959年10月1日 | 1959年10月1日 | 男性歌手 | ワールド | sn |
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カーティス・ブロウ
Kurtis Blow |
1959年8月9日 | 1959年8月9日 | 男性歌手 | ヒップホップ | us |
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アメリカのジャズ・ギタリスト。両手タッピングによる奏法で著名。ロック、ソウル・バンドで演奏を開始しプリンストン大学で音楽理論と作曲をミルトン・バビット、コンピュータミュージックをポール・ランスキーに師事。在学中、ベニー・カーターやディジー・ガレスピーと共演した。1985年、ブルーノートと契約し『Magic Touch』をリリース。ビルボード・ジャズ・チャートで51週間1位を保持した。 グラミー賞ノミネート4回(2024年時点) |
1959年7月31日 | 1959年7月31日 | ギター | ジャズ | us |
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1959年7月29日 | 2025年1月20日 | 65 | ギター | ロック | eg |
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1959年7月11日 | 1959年7月11日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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1959年7月11日 | 1959年7月11日 | ギター | ロック | us |
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アメリカの世界的ベーシスト、音楽プロデューサー、作曲家。15歳でプロになり、エルトン・ジョン、チャカ・カーン、リー・リトナー、ロバータ・フラック、ロニー・リストン・スミス、カーリー・サイモン、アレサ・フランクリンなど、膨大なレコーディングに参加。1986年、マイルス・デイヴィス『TUTU』をプロデュースし、一躍世界的名な声を獲得した。
グラミー受賞 2回・ノミネート 16回(2024年時点) 参加作品
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1959年6月14日 | 1959年6月14日 | ベース | フュージョン | us |
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アメリカの著名な音楽プロデューサー。プロデュース・デュオ「ジャム&ルイス」で知られ、1980–1990年代に成功した。主にジャネット・ジャクソンの楽曲で有名で、S.O.S.バンド、シェレール、アレクサンダー・オニール、シェリル・リンらをプロデュースし、マイケル・ジャクソン、マライア・キャリー、チャカ・カーン、サウンズ・オブ・ブラックネス、メアリー・J. ブライジ、ビヨンセらに楽曲提供した。高校時代にテリー・ルイスとバンドを結成し、1981年よりプリンスのオープニング・アクトを務めた。
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1959年6月6日 | 1959年6月6日 | プロデュース | R&B | us |
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1959年5月22日 | 1959年5月22日 | 男性歌手 | ロック | us |
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1959年5月5日 | 1959年5月5日 | ギター | ロック | us |
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ロジャー・イーノ
Roger Eno イングランドの作曲家。兄ブライアン・イーノとともにアンビエント・ミュージックのアーティストとして知られている。ブライアン・イーノ『Apollo』(1983) にダニエル・ラノワと参加し本格的に音楽活動を開始。デヴィッド・ギルモアの4thアルバム『Rattle That Lock』(2015)、5thアルバム『Luck and Strange』(2024) に参加。
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1959年4月29日 | 1959年4月29日 | 作曲家 | アンビエント | eg |
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スコットランド出身の世界的歌手。1980年代に最も成功したイギリスの女性歌手の1人。バーブラ・ストライサンド主演の映画『追憶』(1973) を観て歌手を志し、1980年に無名のシーナ・イーストンがシングル「Modern Girl」でデビューするまでの様子を追ったテレビ番組が放送され、「Modern Girl」が全英8位を記録した。
グラミー受賞 2回・ノミネート 6回(2024年時点)
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1959年4月27日 | 1959年4月27日 | 女性歌手 | ポップ | sc |
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アメリカのギタリスト、歌手。1979年にロカビリー・バンドのストレイ・キャッツを結成し、ネオロカビリー・ブームで人気を博した。1986年にソロ・デビュー。1990年、ブライアン・セッツァー・オーケストラ結成。布袋寅泰 5thアルバム『King & Queen』(1996) で初共演した。 グラミー受賞 3回・ノミネート 12回(2024年時点) |
1959年4月10日 | 1959年4月10日 | ギター | ロカビリー | us |
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オマー・ハキム
Omar Hakim アメリカのジャズ・ドラマー。ウェザー・リポートやデヴィッド・ボウイ『Let's Dance』 のレコーディングに参加。マーカス・ミラーとは幼馴染で、父親はデューク・エリントンやカウント・ベイシー楽団のトロンボーン奏者ハサーン・ハキム。
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1959年2月12日 | 1959年2月12日 | ドラム | ジャズ | us |
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ドイツの世界的スパニッシュ・ギタリスト。「ヌーヴォー・フラメンコ」というスタイルで『Nouveau Flamenco』(1990) がアメリカで140万枚を売り上げた。1991年『Solo Para Ti』収録「Reaching out 2 U」「Samba Pa Ti」でカルロス・サンタナと客演。カルロス・サンタナ、パコ・デ・ルシア、ジョン・マクラフリン、ロバート・フリップ、ジェフ・ベック、マイルス・デイヴィスらに影響を受けたという。
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1959年2月1日 | 1959年2月1日 | ギター | フラメンコ | de |
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マーク・アイツェル
Mark Eitzel アメリカのシンガーソングライター。1982年、ソロ活動と並行しロックバンド、アメリカン・ミュージック・クラブを結成。
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1959年1月30日 | 1959年1月30日 | 男性歌手 | ロック | us |
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ナイジェリア・イバダン生まれのシンガーソングライター。イギリスのバンド「シャーデー」のヴォーカリストとして世界的に有名。ミステリアスでアダルトな歌声で知られている。1977年、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズでファッションデザインを学び、1982年にスチュワート・マシューマン (G/Sax) ポール・デンマン (B) アンドリュー・ヘイル (Key) とシャーデーを結成。1983年にエピック・レコードと契約。1984年、ロビン・ミラーのプロデュースで1stアルバム『Diamond Life』をリリースし全米2位・全英5位を記録。世界で1,000万枚以上を売り上げた。なお、シャーデーからヴォーカルのシャーデー・アデュを抜くとスウィートバックという形態になる。
アルバム
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1959年1月16日 | 1959年1月16日 | 女性歌手 | R&B | ng |
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1959年1月11日 | 1959年1月11日 | プロデュース | R&B | us |
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イタリア系オーストラリア人のジャズ・ギタリスト。超絶技巧で知られ、1986年にチック・コリア・エレクトリック・バンドに参加したことで一躍名を挙げた。ジェフ・バーリン (G)、ジャン=リュック・ポンティ、アラン・ホールズワースと共演。スピード・ピッキング(エコノミー・ピッキング)を発案した。
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1958年12月22日 | 1958年12月22日 | ギター | フュージョン | au |
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シェレール
Cherrelle アメリカの女性R&B歌手。1984年、1stアルバム『Fragile』をジャム&ルイスらがプロデュース。ロバート・パーマーやマライア・キャリーがカバーしたデビュー曲「I Didn't Mean to Turn You On」「Where Do I Run To」「Everything I Miss at Home」、アレクサンダー・オニールとのデュエット「Saturday Love」や「Never Knew Love Like This」がヒットした。
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1958年10月13日 | 1958年10月13日 | 女性歌手 | R&B | us |
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ハワード・オールデン
Howard Alden アメリカのジャズ・ギタリスト。ハリウッドのギター工科大学 (GIT) でハーブ・エリス、ジョー・パス、ハワード・ロバーツらに師事。7弦ギターの発明者ジョージ・ヴァン・エプスのアルバムとツアーに参加。アルバム多数。
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1958年10月17日 | 1958年10月17日 | ギター | ジャズ | us |
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イタリアの盲目のオペラ歌手。世界最高峰のテノール歌手として知られている。全世界売上9,000万枚。サラ・ブライトマンとのデュエット「Time to Say Goodbye」(1996) は1,500万枚以上を売り上げた。 グラミー賞ノミネート 5回(2024年時点) |
1958年9月22日 | 1958年9月22日 | 男性歌手 | オペラ | it |
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アメリカのロック・シンガー、ギタリスト、ソングライター、女優。
ガールズバンド「ザ・ランナウェイズ」や「ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ」での活動で知られている。
ランナウェイズでは「Cherry Bomb」(1977) が日本でヒット。1979年に解散後、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツを結成。1982年「I Love Rock N' Roll」が7週間全米1位を獲得し、ポリス、クイーン、エアロスミスらとツアーを行った。2015年ロックの殿堂入り。
グラミー賞ノミネート 1回(2024年時点) |
1958年9月22日 | 1958年9月22日 | 女性歌手 | ロック | us |
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アメリカの伝説的なシンガーソングライター、ダンサー。インディアナ州ゲーリー出身。1970年代に兄弟グループ「ジャクソン5」の天才リードシンガーとして一世を風靡。ソロとなった1980年代、クインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えた3部作『Off The Wall』(1979)『Thriller』(1982)『Bad』(1987) で、前人未到の成功を手にし名実ともにポピュラー音楽界の頂点に立った。
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1958年8月29日 | 2009年6月25日 | 50 | 男性歌手 | ポップ | us |
ベリンダ・カーライル
Belinda Carlisle アメリカの歌手。高校生のときイギー・ポップのファンになり、1978年にガールズバンド「ゴーゴーズ」を結成し1986年にソロデビュー。1987年「Heaven Is A Place On Earth」が全米1位を獲得(PVは女優ダイアン・キートンが監督)し、日本では『アニメだいすき!』(シーズン4)やJR東海のCMで起用された。
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1958年8月17日 | 1958年8月17日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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1958年8月16日 | 1958年8月16日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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1958年7月30日 | 1958年7月30日 | 女性歌手 | ポップ | eg |
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アメリカの世界的シンガーソングライター、作曲家、マルチ楽器奏者、音楽プロデューサー、俳優、映画監督。ミネアポリス・サウンドの中心的存在で、ダンス、ポップ、ソウル、ファンク、ロック、ブルース、ゴスペル、ジャズなど幅広い音楽性が特徴。プラチナ・アルバム12作品、全米【TOP 40】30曲、世界売上1億5,000万枚以上。マルティカなど、多くのアーティスト作品をプロデュースした。
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1958年6月7日 | 2016年4月21日 | 57 | 男性歌手 | R&B | us |
ヨナス・エルボーグ
Jonas Hellborg |
1958年6月7日 | 1958年6月7日 | ベース | ロック | se |
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イングランド出身のシンガーソングライター。1977年、パンクバンド「ザ・ジャム」のヴォーカル兼ギタリストとしてデビュー。1980年「Going Underground」が全英1位を獲得し絶大な人気を誇った、モータウン寄りのR&Bサウンドになり1982年に解散。1983年、スタイル・カウンシルを結成したが次第に低迷し、1989年に自然消滅した。ソロ活動を開始し、2006年のブリット・アウォーズで「功労賞」受賞。UKロック・ソウルを代表する大御所としての地位を確立しシーンの最前線で活躍。
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1958年5月25日 | 1958年5月25日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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1958年4月10日 | 1958年4月10日 | プロデュース | R&B | us |
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マドリーン・ケーン
Madleen Kane スウェーデンのモデル・歌手。十代でエリート・モデル(身長180cm 体重47kg)に所属し、ヨーロッパのファッション誌やプレイボーイ誌で掲載された。1978年、アルバム『Rough Diamond 』で世界的ヒットを記録。 ジョルジオ・モロダーらのプロデュースで1970年代後半から1980年代前半にかけて、米国のダンスミュージックチャートで5曲が「TOP 10」入りを果たした。
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1958年3月4日 | 1958年3月4日 | 女性歌手 | ダンス | se |
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イングランドのシンガーソングライター。ニューウェイヴバンド「ジャパン」のヴォーカリスト。解散後、電子音楽やアンビエントを追求し、ロバート・フリップや坂本龍一らとコラボレーション作品を多数発表している。
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1958年2月23日 | 1958年2月23日 | 男性歌手 | 前衛 | eg |
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アイスT
Ice-T |
1958年2月16日 | 1958年2月16日 | 男性歌手 | ヒップホップ | us |
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ビル・エヴァンス
Bill Evans アメリカのジャズ・サックス奏者。22歳の時、マイルス・デイヴィス・バンドに加入し『The Man With The Horn』(1981) 『We Want Miles』(1982) 『Star People』(1983) 『Decoy』(1984) に参加。ハービー・ハンコック、ジョン・マクラフリン、マイケル・フランクス、ウィリー・ネルソン、ミック・ジャガーらのツアー・録音に参加した。ジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスとは同名異人。
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1958年2月8日 | 1958年2月8日 | サックス | ジャズ | us |
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アメリカの女性R&Bシンガー。「チャプター8」のリードシンガーを経て1983年にソロデビュー。1986年、マイケル・J・パウエルによるプロデュースで1stアルバム『Rapture』リリース。ルイス・ジョンソン、ゲイリー・バイアスと共作した「Sweet Love」が全米8位を獲得しグラミー賞「最優秀R&Bソング賞」受賞。1990–2000年代はリリースが激減したが、1994年に5thアルバム『Rhythm of Love』全米3位、2004年にバリー・イーストモンド、ジョージ・デューク、ベイビーフェイスが参加した6thアルバム『My Everything』が全米4位を記録し根強い人気を証明した。 グラミー受賞 8回・ノミネート 18回(2024年時点) |
1958年1月26日 | 1958年1月26日 | 女性歌手 | R&B | us |
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エイドリアン・シャーウッド
Adrian Sherwood |
1958年1月20日 | 1958年1月20日 | プロデュース | eg |
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カシーフ
Kashif アメリカの歌手・プロデューサー。ファンクバンド「BTエクスプレス」後期のメンバーとしてデビュー。その後、ソロ歌手及び音楽プロデューサーとして独立。ケニー・G、ジョージ・ベンソン、ホイットニー・ヒューストンなどプロデュースした。
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1957年12月26日 | 2016年9月25日 | 59 | プロデュース | us |
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シーラ・E
Sheila E アメリカのドラマー、パーカッション奏者、歌手。プリンスのライブやツアーに参加。プリンスがプロデュースした「The Glamorous Life」(1984) 全米7位、「A Love Bizarre」(1986) 全米11位・R&B 2位を記録。日本人では高中正義や小室哲哉らが共演した。本名「Sheila Escovedo」で、父はラテンロックバンド「アステカ」を結成したパーカッション奏者ピート・エスコヴェード。
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1957年12月12日 | 1957年12月12日 | ドラム | us |
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ヴェスタ・ウィリアムス
Vesta Williams |
1957年12月1日 | 2011年9月22日 | 53 | 女性歌手 | R&B | us |
アメリカ合衆国ニューヨーク市ブルックリン出身の女性ギタリスト。ツーハンド・タッピングの名手で、マイケル・ジャクソン「Bad World Tour」やジェフ・ベックのツアー・ギタリストとして著名。ジェフ・ベック『Who Else!』(1999)『You Had It Coming』(2000) などに参加した。 ▶ with Michael Jackson ▶ with Jeff Beck See Also |
1957年11月29日 | 1957年11月29日 | ギター | ロック | us |
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マイク・ヴァーニー
Mike Varney アメリカの音楽プロデューサー、実業家。ハードロックやヘヴィメタルなどのレコードコレクションが興じて、22歳の時にHR/HM系レーベル「シュラプネル・レコーズ」を設立。イングヴェイ・マルムスティーン、マーティ・フリードマン、ヴィニー・ムーア、ポール・ギルバートらを発掘した。
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1957年10月29日 | 1957年10月29日 | プロデュース | メタル | us |
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アメリカの世界的ギタリスト、シンガーソングライター。1977年、スタジオ・ミュージシャンとして活動していたジェフ・ポーカロ、デヴィッド・ペイチらと TOTOを結成。1982年、4thアルバム『TOTO IV』が1200万枚以上のセールスを記録し、グラミー賞で6冠に輝いた。マイケル・ジャクソン「Beat It」(1982) でのエディ・ヴァン・ヘイレンとの共演が有名。2012年よりリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドに参加。 グラミー受賞 5回・ノミネート 8回(2024年時点) |
1957年10月21日 | 1957年10月21日 | ギター | ハードロック | us |
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ウェールズ出身のベーシスト。セッション・ミュージシャンとしてザ・フー、ジョン・メイヤー・トリオ、ナイン・インチ・ネイルズ、ゲイリー・ニューマン、ジェフ・ベック、ディアンジェロ、パワー・ステーションなどのレコーディングに参加。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト50」38位。 グラミー受賞 1回・ノミネート 3回(2024年時点) |
1957年10月17日 | 1957年10月17日 | ベース | ロック | wales |
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ザイン・グリフ
Zaine Griff |
1957年10月4日 | 1957年10月4日 | ベーシスト | ロック | nz |
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ドイツ出身の世界的な映画音楽の作曲家。『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズや『トップガン マーヴェリック 』(2022)『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ 』(2021)『ミッション:インポッシブル2 』(2000)『クリムゾン・タイド 』(1995)『ライオンキング 』(1994)『テルマ&ルイーズ 』(1991)『ブラックレイン 』(1989) など、膨大なサウンドトラックを手掛けた。ロサンゼルス在住。
グラミー受賞 4回・ノミネート 22回(2024年時点)
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1957年9月12日 | 1957年9月12日 | 作曲家 | 映画音楽 | de |
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1957年9月2日 | 1957年9月2日 | キーボード | us |
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1957年9月1日 | 1957年9月1日 | 女性歌手 | ポップ | cu |
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イングランドを代表する女性歌手、作詞家、音楽プロデューサー。セックス・ピストルズに感化され、1976年にスージー&ザ・バンシーズ 結成。「Hong Kong Garden」「Happy House」「Peek-A-Boo」「Kiss Them for Me」などのヒットを放った。1992年、ティム・バートンに『バットマン・リターンズ』の曲を依頼され「Face to Face」を作曲。元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルやモリッシーらと共演。 U2、ザ・キュアー、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ジェフ・バックリィ、 レディオヘッド、ソニック・ユース、R.E.M.など世界中のミュージシャンに多大な影響を与えた。
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1957年5月27日 | 1957年5月27日 | 女性歌手 | ロック | eg |
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イングランドのパンクロッカー。セックス・ピストルズのベーシスト。そのカリスマ性と過激なパフォーマンス、波乱に満ちた生涯でパンク・ムーブメントの伝説となった。
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1957年5月10日 | 1979年2月2日 | 21 | ベース | パンク | eg |
クリフ・マグネス
Clif Magness アメリカの歌手、ソングライター、音楽プロデューサー、マルチ楽器奏者。アヴリル・ラヴィーン 1stアルバム『Let Go』(2002)「Losing Grip」など共同作詞・プロデュース。クインシー・ジョーンズ「The Places You Find Love」で第33回グラミー賞「最優秀インストゥルメンタル・アレンジメント・ヴォーカル」受賞。映画『ベートーベン2』(1993) 主題歌「The Day I Fall In Love」でアカデミー賞、ゴールデングローブ賞にノミネートされた。
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1957年4月24日 | 1957年4月24日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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アメリカのヒップポップ・アーティスト、DJ。1970年代ヒップホップの黎明期にクール・ハーク、グランドマスター・フラッシュらと関わった。バンバータはブロンクスのギャング集団ブラック・スペーズの幹部だったが、1973年に黒人の若者たちによる非暴力組織「ユニバーサル・ズールー・ネイション」(Universal Zulu Nation) を設立。DJ、MC、グラフィティ、ダンスを総じてヒップホップと命名した。1982年、クラフトワーク「Trans-Europe Express」に影響を受けた「Planet Rock」をリリースし、エレクトロファンクと呼ばれたスタイルは大きな影響を与えた。彼の楽曲は、LL Cool feat. ジェニファー・ロペス「Control Myself」など、さまざまなアーティストによってサンプリングされている。ジェームス・ブラウン、ルー・リード、ジョーイ・ラモーン、ジョン・ライドン、ボーイ・ジョージ、ジョージ・クリントン、ブーツィー・コリンズ、U2、Run-D.M.C.など多彩なミュージシャンと共演。
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1957年4月17日 | 1957年4月17日 | 男性歌手 | ヒップポップ | us |
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ダリル・シモンズ
Daryl Simmons アメリカのプロデューサー。L.A.リードとベイビーフェイスによるプロデューサー・チーム「LA&ベイビーフェイス」と共に活動し、ボーイズIIメン「End Of The Road」、キャリン・ホワイト「Superwoman」、トニー・ブラクストン「Breathe Again」、テヴィン・キャンベル「I'm Ready」、TLC「Baby-Baby-Baby」、ジョニー・ギル「My, My, My」、ドゥルー・ヒル「(We're Not Making Love No More」、ホイットニー・ヒューストン「Queen Of The Night」などの楽曲に関わった。
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1957年4月11日 | 1957年4月11日 | プロデュース | R&B | us |
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ブルーイ
Jean-Paul “Bluey” Maunick |
1957年2月19日 | 1957年2月19日 | プロデュース | ソウル | mu |
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アメリカのロック・ギタリスト。1983年、オジー・オズボーン・バンドに加入し3rdアルバム『Bark At The Moon』(邦題『月に吠える』)のプレイで注目された。脱退後、ザック・ワイルドが後任として加入した。その後、バッドランズ、レッド・ドラゴン・カーテルを結成した。
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1957年2月15日 | 1957年2月15日 | ギター | ロック | us |
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イングランド出身、ロサンゼルス在住の世界的セッション・ドラマー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」2010年17位。ジェフ・ポーカロの後任として TOTO に加入 (1992–2013) 。ミック・ジャガー、ジェフ・ベック、ピート・タウンゼント、ゲイリー・ムーア、ジョー・サトリアーニ、エイジア、ジューダス・プリースト、マイケル・シェンカー・グループ、スタンリー・クラーク、カルロス・サンタナ、上原ひろみらと共演。
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1957年2月6日 | 1957年2月6日 | ドラム | ロック | eg |
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アメリカの世界的ドラマー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」80位。2021年に他界したチャーリー・ワッツに代わってローリング・ストーンズの全米ツアーに参加。B.B.キング、バディ・ガイ、ロバート・クレイ 、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、ハービー・ハンコック、ドン・ヘンリー、ブルース・スプリングスティーン、スティーヴィー・ニックス、ジョン・スコフィールド、ジョン・メレンキャンプ、渡辺香津美、シェリル・クロウ、ジョン・メイヤー、アリシア・キーズなどのレコーディングやツアーに参加した。 グラミー受賞 回・ノミネート 回(2024年時点) |
1957年1月14日 | 1957年1月14日 | ドラム | ロック | us |
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アメリカの伝説的なロック・ギタリスト。オジー・オズボーン・バンドの初代ギタリスト。
1973年、クワイエット・ライオットを結成したものの、セールスに恵まれず1979年に脱退。1980年、オジー・オズボーンの1stシングル「Crazy Train」でメジャー・デビューし、新たなギターヒーローとして注目を集めた。1982年3月19日、飛行機事故に遭い25歳で他界したことで、クワイエット・ライオットは追悼アルバム『Metal Health』をリリース。メタル・バンドとして初めて全米1位を獲得した。2021年、ロックの殿堂入り。
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1956年12月6日 | 1982年3月19日 | 25 | ギター | ハードロック | us |
アメリカの著名音楽プロデューサー。プロデュース・デュオ「ジャム&ルイス」で知られ、1980–1990年代に成功した。主にジャネット・ジャクソンの楽曲で有名で、S.O.S.バンド、シェレール、アレクサンダー・オニール、シェリル・リンらをプロデュースし、マイケル・ジャクソン、マライア・キャリー、チャカ・カーン、サウンズ・オブ・ブラックネス、メアリー・J. ブライジ、ビヨンセらに楽曲提供した。高校時代にジミー・ジャムとバンドを結成し、1981年よりプリンスのオープニング・アクトを務めた。1992年キャリン・ホワイトと結婚。
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1956年11月24日 | 1956年11月24日 | プロデュース | R&B | us |
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アメリカのジャズ歌手。ディー・ディー・ブリッジウォーター、ダイアナ・クラール、カサンドラ・ウィルソンと並んで、現代最も重要な女性ジャズシンガーと見なされている。 グラミー受賞 5回・ノミネート 9回(2024年時点) |
1956年10月23日 | 1956年10月23日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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フレディ・ジャクソン
Freddie Jackson |
1956年10月2日 | 1956年10月2日 | 男性歌手 | R&B | us |
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グレン・マトロック
Glen Matlock イングランドのベーシスト、作曲家。セックス・ピストルズのオリジナル・メンバーで、「Anarchy in the U.K.」(1976)、「God Save The Queen」(1977)、ABBA「SOS」にインスパイアされた「Pretty Vacant」(1977) を作曲した。1977年に脱退し、後任にシド・ヴィシャスが加入。1979年にはイギー・ポップのツアーに参加。1996年にセックス・ピストルズの再結成、2010年にフェイセズの再結成に参加した。
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1956年8月27日 | 1956年8月27日 | ベース | パンク | us |
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ポール・クック
Paul Cook イギリスのパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズのドラマー。
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1956年7月20日 | 1956年7月20日 | ドラム | パンク | us |
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1956年7月15日 | 1956年7月15日 | ギター | ハードロック | us |
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アメリカのレコード会社幹部、音楽プロデューサー。クライヴ・デイヴィスの後任としてアリスタレコードの社長に就任。トニー・ブラクストン、TLC、アウトキャスト、アヴリル・ラヴィーン、ピンク、シアラ、アッシャーらと契約。アイランド・デフ・ジャム、エピックなどで、マライア・キャリー、ジェニファー・ロペス、カニエ・ウェスト、リアーナ、ボン・ジョヴィ、ジャスティン・ビーバー、フューチャー、DJキャレド、トラヴィス・スコット、ア・トライブ・コールド・クエストのキャリアに貢献した。
グラミー受賞 3回・ノミネート 10回(2024年時点)
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1956年6月7日 | 1956年6月7日 | 実業家 | us |
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デナード・コールマン
Denardo Coleman アメリカのジャズドラマー、音楽プロデューサー。父はサックス奏者でフリージャズの先駆者オーネット・コールマン、母は詩人ジェイン・コルテス。6歳でドラムを始め、10歳でオーネット・コールマン『The Empty Foxhole』(1966) に参加。以後、オーネットのリーダー作多数で共演した。
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1956年4月19日 | 1956年4月19日 | ドラム | ジャズ | us |
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リッキー・ウェルマン
Ricky Wellman アメリカのジャズドラマー。1976–1987年までゴーゴーの生みの親チャック・ブラウンの The Soul Searchers に参加。マイルス・デイヴィス『Amandla 』(1989) のレコーディングとツアー、1997年にサンタナのツアーに参加した。
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1956年4月11日 | 2013年11月23日 | 57 | ジャズ | ドラム | us |
ハル・ウィルナー
Hal Willner アメリカの音楽プロデューサー。1981年、ビル・フリゼール、カーラ・ブレイらが参加したニーノ・ロータのトリビュート・アルバム『Amarcord Nino Rota』をプロデュースし高い評価を受けた。その後、セロニアス・モンク、クルト・ヴァイル、ハロルド・アーレンなどのトリビュート・アルバムを多数製作。マリアンヌ・フェイスフル、ルー・リード、ローリー・アンダーソン、イギー・ポップ、ビル・フリゼールなどをプロデュースした。
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1956年4月5日 | 2020年4月7日 | 64 | プロデュース | us |
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グレッグ・フィールド
Gregg Field アメリカのプロデューサー・ドラマー。グラミー賞とエミー賞を複数回受賞。1991年から1995年までフランク・シナトラの最後のドラマーを務めた。
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1956年2月21日 | 1956年2月21日 | プロデュース | ポップ | us |
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ブライアン・ロバートソン
Brian Robertson |
1956年2月12日 | 1956年2月12日 | ギター | ロック | sc |
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ディディエ・ロックウッド
Didier Lockwood フランスのジャズ・ヴァイオリニスト。70年代にプログレッシブ・ロックバンド「マグマ」でエレクトリック・ヴァイオリンを駆使した実験的なサウンドを演奏。リーダー作多数。
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1956年2月11日 | 2018年2月18日 | 62 | バイオリン | フュージョン | fr |
1956年2月5日 | 1956年2月5日 | ドラム | ロック | us |
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イングランドの世界的なパンクロック・シンガー。「ジョニー・ロットン」(Johnny Rotten「腐れのジョニー」の意)としてパンクロック・バンド「セックス・ピストルズ」のリードヴォーカルを務め、解散後はパブリック・イメージ・リミテッドを結成した。1979年、アリ・アップの母でプロモーターのノラ・フォースターと結婚した。
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1956年1月31日 | 1956年1月31日 | 男性歌手 | パンク | us |
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エイミー・スチュワート
Amii Stewart |
1956年1月29日 | 1956年1月29日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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アメリカ合衆国カリフォルニア州モントレーパーク出身の音楽プロデューサー、ジャズ・ベーシスト。ジャズ・ベーシストとしてキャリアをスタートし、フレディ・ハバードのアルバム『Skagly』(1980) などに参加し、カーメン・マクレエ、ウェイン・ショーター、ウィリー・ボボ、ジョー・ヘンダーソンらと共演。1982年、ジョニ・ミッチェルと結婚(1994年離婚)。2006年にはルシアーナ・ソウザと再婚した。
グラミー受賞 4回・ノミネート 8回(2024年時点) ベーシストとして参加
プロデュース共同プロデュース含む
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1956年 | 1956年1月1日 | プロデュース | ジャズ | us |
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アメリカのジャズ・フュージョンのベーシスト。10代でバリー・ホワイト率いる「ラヴ・アンリミテッド・オーケストラ」に加入。その後、スタジオ・ミュージシャンとしてジョージ・ベンソン、ジョー・サンプル、ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン、スティーヴィー・ワンダー、フィル・コリンズ、TOTOらと共演。1990年、ボブ・ジェームス、リー・リトナー 、ハーヴィー・メイソンとフォープレイを結成した。 グラミー賞ノミネート 7回(2024年時点) |
1955年12月8日 | 1955年12月8日 | ベース | フュージョン | us |
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カサンドラ・ウィルソン
Cassandra Wilson |
1955年12月4日 | 1955年12月4日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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ビリー・アイドル
Billy Idol イングランドのロック・シンガー。1976年、パンクロック・バンド「ジェネレーションX」を結成。解散後アメリカに渡りギタリストのスティーヴ・スティーヴンスを迎えアルバム『Billy Idol』(1982) でソロデビューした。1987年「Mony Mony」全米1位。
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1955年11月30日 | 1955年11月30日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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1955年10月7日 | 1955年10月7日 | チェロ | クラシック | fr |
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パット・マステロット
Pat Mastelotto アメリカのドラマー。ホール&オーツなどのバンドを経て、1993年にデヴィッド・シルヴィアンとロバート・フリップのプロジェクト「シルヴィアン&フリップ」のツアーに参加。1994年、キング・クリムゾンに加入しビル・ブルーフォードとのツイン・ドラムを披露した。2015年、再始動したキング・クリムゾンの公演で来日。
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1955年9月10日 | 1955年9月10日 | ドラム | プログレ | us |
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スティーヴ・ジョーンズ
Steve Jones イングランドのロックギタリスト。パンクロック・バンド、セックス・ピストルズのメンバーとして有名。
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1955年9月3日 | 1955年9月3日 | ギター | パンク | eg |
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スコットランド出身のギタリスト。スージー&ザ・バンシーズのメンバーとして知られ、「ニュー・ウェイヴのジミー・ペイジ」と称された。ジ・エッジ(U2)、ジョニー・マー(ザ・スミス)、ジョニー・グリーンウッド、エド・オブライエン(ともにレディオヘッド)、デイヴ・ナヴァロ(ジェーンズ・アディクション)、ビリー・コーガン(スマッシング・パンプキンズ)、ジョン・フルシアンテ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)らがその影響を公言した。
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1955年8月25日 | 2004年3月4日 | 48 | ギター | ロック | sc |
ディーン・ブラウン
Dean Brown フランス生まれのセッション・ギタリスト。バークリー音楽大学の同期マイク・スターンやビル・フリゼールがいる。1981年、ビリー・コブハムのバンドに参加。1980–1990年代にかけてロバータ・フラック、マーカス・ミラー、デイヴィッド・サンボーン、ブレッカー・ブラザーズ、ジョー・サンプル、ボブ・ジェームス、カーク・ウェイラムらと共演。ウィル・リー (B)、デニス・チェンバース (Dr) と「DBIII」(ディービースリー)を結成し、2008年に日本公演を行った。
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1955年8月19日 | 2024年1月26日 | 68 | ギター | フュージョン | fr |
1955年5月31日 | 1955年5月31日 | ギター | カントリー | aau |
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マイク・ポーカロ
Mike Porcaro アメリカのベーシスト。スタジオ・ミュージシャンを経て、TOTO に参加。兄はジェフ・ポーカロ (B)、弟はスティーヴ・ポーカロ (Key)、父はジャズ・ドラマーのジョー・ポーカロ グラミー受賞 3回・ノミネート 3回 |
1955年5月29日 | 2015年3月15日 | 59 | ベース | ロック | us |
ニナ・ハーゲン
Nina Hagen ドイツの歌手、作詞家。異名は「パンクのゴッドマザー」。1976年、東ドイツから国外追放され西ドイツに亡命。1978年、1stアルバム『Nina Hagen Band』(CBS) リリースし、ドイツ11位・オランダ7位・オーストリア24位を記録。女優を志していたことから演劇的な歌声で賞賛された。以後、精力的に活動し、1989年のベルリンの壁崩壊の際には世界ツアーをキャンセルし、ベルリンで無償ライブを行った。2021年、メルケル首相は退任式で青春時代の思い出の曲「Du Hast Den Farbfilm Vergessen」(1974年「カラーフィルムを忘れたのね」)を選曲した。母は「東ドイツのブリジット・バルドー」と呼ばれた女優・歌手のエヴァ・マリア・ハーゲン、父は脚本家ハンス・オリヴァ・ハーゲン。ザ・スリッツのアリ・アップと親交した。
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1955年3月11日 | 1955年3月11日 | 女性歌手 | パンク | de |
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アメリカの音楽プロデューサー、ベーシスト。アンビエント、エレクトロニカ、ダブ、テクノ、アヴァンギャルド、ワールドミュージックなどさまざまな音楽を制作し、ミック・ジャガー、ハービー・ハンコック、ブライアン・イーノ、キップ・ハンラハン、坂本龍一、ジョン・ライドン、アフリカ・バンバータなど関わったアーティストと作品は膨大。ファンカデリック、ストゥージズ、MC5らに影響を受けた。1970年代にニューヨークの実験音楽シーンに触発され、ローリング・ストーンズがハウスバンドを務めた「クローダディ・クラブ」の元オーナーで当時NYで活動していた重鎮ジョルジオ・ゴメルスキーの元で働き、ヘンリー・カウ、マグマらと交流しながら国内外の前衛音楽の配給を始めた。
プロデュース 1 Material 名義
プロデュース 2 Bill Laswell 名義 See Also |
1955年2月12日 | 1955年2月12日 | プロデュース | エレクトロニカ | us |
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オランダ出身のアメリカ人ギタリスト、作曲家。ハードロックバンド「ヴァン・ヘイレン」のギタリストとして世界的に有名。兄アレックス・ヴァン・ヘイレン。息子ウルフギャング・ヴァン・ヘイレン。ノーギャラで参加したマイケル・ジャクソン「Beat It」のギターソロはアドリブである。2020年10月6日、喉頭がんにより他界。 グラミー受賞 1回・ノミネート 3回 |
1955年1月26日 | 2020年10月6日 | 65 | ギター | ハードロック | nl |
ドイツ出身のハードロックのギタリスト。ギブソンのギター「フライングV」を使用していたことで有名。
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1955年1月10日 | 1955年1月10日 | ギター | ハードロック | de |
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スコットランド出身の女性歌手。ユーリズミックスのヴォーカルとして世界中で7,500万枚のレコードを売り上げた。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」93位。
グラミー受賞 4回・ノミネート 15回(2024年時点)
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1954年12月25日 | 1954年12月25日 | 女性歌手 | ロック | sc |
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アメリカの音楽プロデューサー。アストル・ピアソラの三部作『Tango: Zero Hour』(1986)『Rough Dancer And The Cyclical Night』(1987)『La Camorra』(1988) をプロデュースした鬼才として知られている。自身名義の楽曲は、ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンの前衛的なジャズ、ラテン、ロックなどが融合したパーカッシブルなサウンドが特徴で、スティングやジャック・ブルースが参加した。
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1954年12月9日 | 1954年12月9日 | プロデュース | us |
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フランク・マリノ
Frank Marino カナダの歌手、ギタリスト。ハードロックバンド「マホガニー・ラッシュ」のリーダー。1970年代において最も過小評価されているギタリストのひとりとされる。アルバート・キングやスティーヴィー・レイ・ヴォーンのトリビュート・アルバムなどに参加し、ザック・ワイルド、ジョー・ボナマッサ、エリック・ゲイルズ、ヴィニー・ムーア、ポール・ギルバートなどに影響を与えた。『ギター・プレイヤー』ではジェフ・ベック、エディ・ヴァン・ヘイレン、ジ・エッジ
と並んで「フルスペクトラムのギターの神」と評されている。2021年、音楽活動から引退した。
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1954年11月20日 | 1954年11月20日 | ギター | ロック | ca |
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ヴィンス・アンドリュース
Vince Gerard Andrews |
1954年11月9日 | 2012年7月7日 | 57 | サックス | ジャズ | us |
アメリカのシンガーソングライター。1979年、1stアルバム『Rickie Lee Jones』全米3位、「Chuck E.'s In Love」全米4位を記録し、グラミー賞「最優秀新人賞」を受賞。レコーディングにはマイケル・マクドナルド、ドクター・ジョン、ウィリー・ウィークス、スティーヴ・ガッド、ジェフ・ポーカロ、アンディ・ニューマーク、ニック・デカロ、バジー・フェイトン、ニール・ラーセン、アーニー・ワッツなど一流ミュージシャンが参加した。一時期レコーディングを中断していたが、ウォルター・ベッカーがプロデュースした6thアルバム『Flying Cowboys』(1989) より復帰した。恋人だったトム・ウェイツの4thアルバム『Foreign Affairs』(1977) と5thアルバム『Blue Valentine』(1978) のカバーアートで姿が確認できる。
グラミー受賞 2回・ノミネート 8回(2024年時点) See Also
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1954年11月8日 | 1954年11月8日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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スコット・ヤナウ
Scott Yanow |
1954年10月4日 | 1954年10月4日 | 評論家 | ジャズ | us |
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アメリカの世界的ブルース・ギタリスト、歌手、作曲家。アルバート・キング、エルモア・ジェームス、オーティス・ラッシュらに強い影響を受けたという。
グラミー受賞 6回・ノミネート 13回
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1954年10月3日 | 1990年8月27日 | 35 | ギター | ブルース | us |
バーシア
Basia イギリスを中心に活動するポーランド出身の女性歌手。イギリスでマット・ビアンコなどに参加し、1986年にソロ・デビュー。1987年、PARCOのクリスマス・キャンペーンのCMに出演・楽曲「New Day for You」を提供し日本で人気を博した。「Cruising for Bruising」全米29位・カナダ4位が有名。
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1954年9月30日 | 1954年9月30日 | 女性歌手 | ポップ | pl |
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アメリカのソウル/R&Bの歌手、ピアニスト。ウィル・スミス主演映画『メン・イン・ブラック』(1997) のテーマ曲としてサンプリングされ、リバイバルヒットした「Forget Me Nots」(1982 全米23位) で著名。ジャン=リュック・ポンティ、スタンリー・タレンタイン、リー・リトナー、デイヴ・グルーシンらの楽曲に参加し、1990年代にはジャネット・ジャクソンのツアーの音楽監督を務めた。 グラミー賞ノミネート 3回(2024年時点) |
1954年9月30日 | 1954年9月30日 | 女性歌手 | ソウル | us |
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1954年9月28日 | 1954年9月28日 | ギター | ロック | us |
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イングランドのロック歌手、作曲家、プロデューサー。1977年、「Less Than Zero」でデビュー。1979年、3rdアルバム『Armed Forces』が全英1位・全米10位を記録した。1989年ポール・マッカートニーとも共作し「Veronica」(全米19位)。2003年、ジャズ歌手のダイアナ・クラールと再婚。2022年までに34枚のアルバムをリリースした。 グラミー受賞 1回・ノミネート 15回(2024年時点) |
1954年8月25日 | 1954年8月25日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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スティーヴ・スミス
Steve Smith アメリカのジャズ/ロックのドラマー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」30位。バークリー音楽大学でトニー・ウィリアムスの師アラン・ドーソンに師事。ジャーニーのドラマーとして有名で、ステップス・アヘッド、マライア・キャリー、ブライアン・アダムス、ラリー・コリエル、フランク・ギャンバレらのレコーディングに参加した。
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1954年8月21日 | 1954年8月21日 | ドラム | ジャズ | us |
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アメリカのギタリスト。スタジオ・ミュージシャンとしてキャロル・キング、キャット・スティーヴンス、クリストファー・クロスなどのレコーディングに参加。「Cliffs of Dover」でグラミー賞「最優秀ロック・インストゥルメンタル・パフォーマンス」を受賞。1996年にはジョー・サトリアーニのG3ツアーに参加した。 グラミー受賞 1回・ノミネート 10回(2024年時点) |
1954年8月17日 | 1954年8月17日 | ギター | ロック | us |
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アメリカの世界的ジャズ・ギタリスト。18歳でバークリー音楽大学の講師を務め、1974年にゲイリー・バートン『Ring』でレコーディング・デビュー。翌年、1975年にジャコ・パストリアスを迎え初リーダー作『Bright Size Life』をリリース。1979年、ドン・アライアス、マイケル・ブレッカー、ジャコ・パストリアス、ライル・メイズらとジョニ・ミッチェルのバンドとして参加した。 グラミー受賞 20回・ノミネート 39回(2024年時点) |
1954年8月12日 | 1954年8月12日 | ギター | フュージョン | us |
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アメリカの世界的なジャズ・フュージョンの超絶技巧ギタリスト、音楽プロデューサー。1974年、19歳でリターン・トゥ・フォーエヴァーに参加。ワールドミュージック色に彩られたサウンドで、パコ・デ・ルシア、ジョン・マクラフリン、スタンリー・クラークなど世界の著名ミュージシャンと共演した。
グラミー受賞 1回・ノミネート 1回(2024年時点)
リターン・トゥ・フォーエヴァー1974年、19歳でチック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーにビル・コナーズの後任として2年間在籍。アルバム3枚が米国トップ40入りし商業的に大成功を収め、グループはピークに達した。「夢が叶った。チックもグループも私のお気に入りで、私は最高のグループに参加できた。チックはギターのために素晴らしい曲を書いてくれて、私は地球上で最もヒップなギターパートを手に入れた」お気に入りの曲は「Song To The Pharoah Kings」「Duel Of The Jester And The Tyrant」だという。
Go1976年、ツトム・ヤマシタ (Per, Key) を中心に、スティーヴ・ウィンウッド (Vo, Key)、アル・ディ・メオラ (G)、クラウス・シュルツェ (Syn)、マイケル・シュリーヴ (Dr) によって結成されたスーパーグループ。バンド名は「五」を意味する。
パコ・デ・ルシア、アル・ディ・メオラ、ジョン・マクラフリンスペインのフラメンコ・ギタリストのパコ・デ・ルシアと、英国のジャズ・ロックギタリストのジョン・マクラフリンによるスーパー・ギター・トリオ。
ソロ・アルバムレギュラー・メンバーはヤン・ハマー (Key)、バリー・マイルス (Key)、アンソニー・ジャクソン (B)、スティーヴ・ガッド (Dr)。長年の大音量による演奏で聴覚障害をきたし、エレキギターから次第に遠のき、1990年代にはアコースティックギターとワールドミュージックを探求した。
参加作品
影響
トリビア
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1954年7月22日 | 1954年7月22日 | ギター | フュージョン | us |
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アメリカのキーボーディスト、歌手、作曲家。世界的ロック・バンド TOTO のメンバーとして著名。スタジオ・ミュージシャンとして膨大なレコーディングに参加した。
グラミー受賞 6回・ノミネート 9回(2024年時点)
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1954年6月25日 | 1954年6月25日 | キーボード | ロック | us |
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ウェールズ出身のロック・ギタリスト。1971年、ゲイリー・ムーアの後任としてアイルランドのバンド「スキッド・ロウ」に加入。1978年 マイケル・シェンカーの後任として UFO に加入。その後、アメリカへ移住しバンドを結成した。
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1954年6月9日 | 2020年6月9日 | 66 | ギター | ロック | wales |
アメリカのジャズ・フュージョンのドラマー、作曲家。1972年、スタン・ケントン・オーケストラでキャリア開始。1978年にウェザー・リポートとジャコ・パストリアスのバンド「ワード・オブ・マウス・ビッグ・バンド」やステップス・アヘッドに参加した。日本人女性(キーボード奏者・吉澤はじめの母の妹)と結婚した。
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1954年6月5日 | 1954年6月5日 | ドラム | フュージョン | us |
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アンジェラ・ボフィル
Angela Bofill |
1954年5月2日 | 2024年6月13日 | 70 | 女性歌手 | R&B | us |
レイ・パーカー・ジュニア
Ray Parker Jr.
アメリカのR&Bのギタリスト、歌手。映画『ゴーストバスターズ』の主題歌「Ghostbusters」が有名。セッション・ギタリストとしてキャラアをスタートし、スティーヴィー・ワンダー、アレサ・フランクリン、テンプテーションズ、ベンチャーズ、ハービー・ハンコックらのレコーディングに参加。
グラミー受賞 1回・ノミネート 4回(2024年時点)
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1954年5月1日 | 1954年5月1日 | 男性歌手 | R&B | us |
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1954年4月19日 | 1954年4月19日 | プロデュース | ロック | ca |
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パット・トラヴァース
Pat Travers カナダのロック・ギタリスト、シンガーソングライター。オタワで観たジミ・ヘンドリックスのコンサートに感化されギターを開始。ロニー・ホーキンスに見出され、20代前半でロンドンに移りポリドールと契約。バンドにはニコ・マクブレイン、クライヴ・エドワーズ、トミー・アルドリッジ、カーマイン・アピス、エインズレー・ダンバーらが在籍。ポール・ギルバートはトラヴァースを「ギターの神様」と呼び、メタリカのカーク・ハメットお気に入りのギタリストの一人。
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1954年4月12日 | 1954年4月12日 | ギター | ロック | ca |
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ミシェル・カミロ
Michel Camilo |
1954年4月4日 | 1954年4月4日 | ピアノ | ジャズ | do |
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アメリカのドラマー。ロックバンド TOTO の元リーダー。セッション・ミュージシャンとしても数多くのレコーディングに参加した。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」37位。弟はマイク・ポーカロ (B) とスティーヴ・ポーカロ (Key)、父はジャズ・ドラマーのジョー・ポーカロ
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1954年4月1日 | 1992年8月5日 | 38 | ドラム | ロッ | us |
アメリカのギタリスト。10歳でギターを始めジミ・ヘンドリックス等に影響を受けた。サンタナのギタリストを経て、1973年に世界的ロックバンド「ジャーニー」を結成した。
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1954年2月27日 | 1954年2月27日 | ギター | ロック | us |
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ジョン・トーマス
John Thomas アメリカのジャズ・ギタリスト。シカゴのブルース・ギタリスト、レジー・ボイドに師事。ジョー・ヘンダーソン『Multiple』(1973)、リターン・トゥ・フォーエヴァー『Live The Complete Concert』(1977) に参加し、ドイツのレーベル「Nabel」と契約。John Thomas & Lifeforce『Devil Dance』(1980)、『3000 Worlds』(1981)、『Dreams, Illusions, Nightmares And Other Realities』(2003) をリリースした。Monika Linges をフィーチャーしたブラジリアン・フュージョン「Like A Samba」がクラブでヒットした。
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1954年2月25日 | 2023年10月12日 | 69 | ギター | ジャズ | us |
トニー・リンゼイ
Tony Lindsay アメリカの歌手。サンタナのヴォーカリストとして1991年から2015年まで最も長く在籍した。バンドは3,000万枚以上を売り上げたアルバム『Supernatural』(1999) で11のグラミー賞を受賞した。2024年に他界した「Maze featuring Frankie Beverly」のフランキー・ビヴァリーに代わり、リンゼイを迎え「Maze Honoring Frankie Beverly」として継続すると発表した。
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1954年 | 1954年1月1日 | 男性歌手 | R&B | us |
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ベティ・ライト
Betty Wright アメリカのR&Bの女性シンガーソングライター。「マイアミ・ソウルの女王」と謳われキャリアは60年以上。1971年「Clean Up Woman」全米6位・R&Bチャート2位、1975年「Where Is the Love」でグラミー賞「最優秀R&B楽曲賞」受賞。キング・スポーティーと結婚した。
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1953年12月21日 | 2020年5月10日 | 66 | 女性歌手 | R&B | us |
アメリカの女性ジャズ歌手・ピアニスト。20枚のアルバムをリリースし、『Diane Schuur & The Count Basie Orchestra』(1987) はビルボードジャズチャート33週間1位を記録。1986年と1987年にグラミー賞「最優秀女性ジャズボーカル・パフォーマンス賞」を受賞。フランク・シナトラ、レイ・チャールズ、クインシー・ジョーンズ、スティーヴィー・ワンダーらとと共演し、B.B.キングと『Heart to Heart』(94) を共作した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 5回(2024年時点) |
1953年12月10日 | 1953年12月10日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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アメリカのシンガーソングライター、ギタリスト。父は「R&Bのゴッドファーザー」ことジョニー・オーティス。1969年、15歳でアル・クーパー「Kooper Session」にギターで参加。1970年、1stアルバム『Here Comes Shuggie Otis』をB.B.キングが絶賛。エタ・ジェイムス、フランク・ザッパらと共演しつつ、1977年に作曲したブラザーズ・ジョンソン「Strawberry Letter 23」が全米1位・R&Bチャート1位を獲得。ローリング・ストーンズのワールドツアー参加要請やクインシー・ジョーンズからのプロデュース依頼を断り、やがてエピック・レコードとのレコーディング契約は無効となった。寡作でアルバムリリースは4枚(2024年時点)。
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1953年11月30日 | 1953年11月30日 | ギター | R&B | us |
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1953年10月28日 | 1953年10月28日 | プロデュース | ロック | us |
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マーク・ジョンソン
Marc Johnson アメリカのジャズ・ベーシスト。1978年、エディ・ゴメスの後任としてビル・エヴァンス・トリオに加入。1980年にエヴァンスが亡くなるまで共に活動した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 3回(2024年時点) |
1953年10月21日 | 1953年10月21日 | ベース | ジャズ | us |
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ロビー・シェイクスピア
Robbie Shakespeare ジャマイカのベーシスト。レゲエ・デュオ「スライ&ロビー」のメンバーとして有名。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのベーシスト、アストン・バレットに師事。1975年、スライ・ダンバー (Dr) とスライ&ロビーを結成した。
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1953年9月27日 | 2021年12月8日 | 68 | ベース | レゲエ | jm |
アール・クルー
Earl Klugh アメリカのジャズ・フュージョンのギタリスト。十代後半でユセフ・ラティーフとジョージ・ベンソンのレコーディングとツアーに参加。20歳の時にチック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーに加入した。ボブ・ジェームスとの共作『One on One』(1979) でグラミー賞「ベスト・ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス」受賞。 グラミー受賞 1回・ノミネート 13回(2024年時点) |
1953年9月16日 | 1953年9月16日 | ギター | フュージョン | us |
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1953年9月2日 | 1953年9月2日 | サックス | 前衛音楽 | us |
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ジェームズ・JT・テイラー
James JT Taylor アメリカ合衆国サウス・カロライナ州出身の歌手。世界的ファンク・バンド、クール&ザ・ギャングのリードシンガーとして知られている。1979年、同グループに加入し1988年脱退。ソロ活動に転じたが1996年に再加入した。ジェームス・テイラーとは別人。
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1953年8月16日 | 1953年8月16日 | 男性歌手 | ファンク | us |
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ジェフ・ハミルトン
Jeff Hamilton アメリカのジャズ・ドラマー。モンティ・アレキサンダー、ウディ・ハーマンらのバンドを経て、1985年クレイトン=ハミルトン・ジャズ・オーケストラ結成。エラ・フィッツジェラルド、ローズマリー・クルーニー、カウント・ベイシー・オーケストラ、オスカー・ピーターソン、レイ・ブラウン、ダイアナ・クラールと共演。
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1953年8月4日 | 1953年8月4日 | ドラム | ジャズ | us |
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アメリカのブルースシンガー・ギタリスト。1980年代に新世代のブルースマンとして頭角を現し、1986年「Smoking Gun」が全米22位を記録。1985年、4thアルバム『Showdown!』でグラミー賞「最優秀トラディショナル・ブルース録音賞」を受賞し注目を集めた。1993年、B.B.キング『Blues Summit』にゲスト参加した。 グラミー受賞 5回・ノミネート 16回(2024年時点) |
1953年8月1日 | 1953年8月1日 | ギター | ブルース | us |
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グレッグ・コーエン
Greg Cohen
アメリカのベーシスト・作曲家。
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1953年7月13日 | 1953年7月13日 | ベース | ジャズ | us |
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アメリカの世界的シンガーソングライター・女優。1980年にバンド「ブルー・エンジェル」でメジャーデビューしたが、シンディが破産し解散。クラブやレストランで歌い、ポートレイト・レコードとの契約した。1983年、ソロデビューアルバム『She's So Unusual』から4曲連続「全米TOP 5」入りした初の女性ソロアーティストとなり、「Time After Time」はマイルス・デイヴィスらにもカヴァーされスタンダードとなった。1985年、USAフォー・アフリカ『We Are The World』に参加。以後も精力的に活動し、2000年以降はシェールと大規模な北米ツアーを行い100万人以上を動員した。大の親日家。
グラミー受賞 2回・ノミネート 16回(2024年時点) 代表作
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1953年6月22日 | 1953年6月22日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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スコットランドのロックギタリスト。1974–1977年までポール・マッカートニーのウイングスのリード・ギタリストを務めた。ジャンゴ・ラインハルトに刺激を受け、11歳でギターを開始。サンダークラップ・ニューマンを結成。15歳のとき、ピート・タウンゼントがプロデュースした『Something In The Air』が全英1位を獲得し最年少で全英1位を獲得したギタリストになった。兄のジャック・マカロックはドラマー。ヘロインの過剰摂取による心臓発作で他界。26歳だった。
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1953年6月4日 | 1979年9月27日 | 26 | ギター | ロック | sc |
アメリカのギタリスト、歌手、作曲家、プロデューサー。3歳から17歳まで過ごしたブラジルの音楽に影響を受けた。1970年代にニューヨークでパンク・バンドのDNA、ジョン・ルーリーのラウンジ・リザーズ、ブライアン・イーノが監修した前衛パンクのコンピ『No New York』に参加。1980年代はカエターノ・ヴェローゾ、ガル・コスタ、カルニーニョス・ブラウン、マリーザ・モンチなどのブラジルのミュージシャンをプロデュース。ギタリスト、コンポーザーとしてキップ・ハンラハン、ローリー・アンダーソン、デヴィッド・バーン、坂本龍一、オノ・セイゲン、大貫妙子、テイ・トウワ、GEISHA GIRLS のレコーディングに参加した。
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1953年5月28日 | 1953年5月28日 | 男性歌手 | ノーウェイヴ | us |
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アメリカのバンド「ソニック・ユース」のヴォーカリスト、ベーシスト、ギタリスト。ローリングストーン誌「偉大なベーシスト」2020年39位。
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1953年4月28日 | 1953年4月28日 | ベース | オルタナ | us |
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アメリカの女性R&B歌手。1970–1980年代に精力的に活動し、ホイットニー・ヒューストン、メアリー・J.ブライジなど多くの女性歌手に影響を与えた。1973年、ファンク・バンド「ルーファス」にヴォーカリストとして加入。アイク・ターナーの目に留まり、ルーファスでレコード・デビュー。解散後、ソロ・デビューし数々のヒットと曲をリリースした。
全米【TOP 10】4曲 【TOP 100】24曲 グラミー受賞 10回・ノミネート 22回(2024年時点)
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1953年3月23日 | 1953年3月23日 | 女性歌手 | R&B | us |
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1953年3月19日 | 1953年3月19日 | ベース | ハードロック | us |
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アメリカの音楽実業家、エンジニア。1970年代にレコーディング・エンジニアとしてキャリアを開始。ジョン・レノンやブルース・スプリングスティーンなどと仕事をし、250枚以上のアルバム制作に携わった。1999年、ユニバーサル・ミュージック・グループによって設立されたインタースコープ・ゲフィン・A&Mの会長兼CEOに就任。2006年、ドクター・ドレーとオーディオメーカー「ビーツ・エレクトロニクス」を共同設立し、2014年にアップルが30億ドルで買収した。
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1953年3月11日 | 1953年3月11日 | 実業家 | us |
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アメリカの世界的歌手、ソングライター。世界売上7,500万枚以上。1979年にハードロック・バンドのヴォーカリストとしてデビュー。ソロとなり1980–1990年代にアダルト・コンテンポラリー・チャートを賑わせた。ソングライターとしてバーブラ・ストライサンド、キッス、ケニー・ロジャース、ケニーG、ピーボ・ブライソン、パティ・ラベルなどに楽曲提供した。
グラミー受賞 2回・ノミネート 4回(2024年時点)
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1953年2月26日 | 1953年2月26日 | 男性歌手 | ロック | us |
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ルシンダ・ウィリアムス
Lucinda Williams |
1953年1月26日 | 1953年1月26日 | 女性歌手 | カントリー | us |
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ジェームス・ハチンソン
James Hutchinson アメリカのセッション・ベーシスト。ボニー・レイットとの仕事で有名。1960年代後半にバークリー音楽大学で学び、B.B.キング、ウィリー・ネルソン、リンゴ・スター、ジョー・コッカー、ジャクソン・ブラウン、ブライアン・アダムス、アル・グリーン、ネヴィル・ブラザーズ、ドゥービー・ブラザーズ、ジギー・マーリーなど多数のレコーディングに参加。
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1953年1月24日 | 1953年1月24日 | ベース | ポップ | us |
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ジェフ・バーリン
Jeff Berlin アメリカのベーシスト。主にジャズ、フュージョン、プログレッシブ・ロックのジャンルで活躍。
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1953年1月17日 | 1953年1月17日 | ベース | フュージョン | us |
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1953年1月10日 | 1953年1月10日 | 女性歌手 | ロック | us |
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アメリカのジャズ・ギタリスト。1981年、マイルス・デイヴィスがカムバックした際に抜擢。
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1953年1月10日 | 1953年1月10日 | ギター | ジャズ | us |
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ジョー・ロヴァーノ
Joe Lovano |
1952年12月29日 | 1952年12月29日 | サックス | ジャズ | us |
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ジョン・ルーリー
John Lurie
アメリカのサックス奏者、俳優、画家。ニューヨークのアヴァンギャルド・ジャズ・バンド「ラウンジ・リザーズ」のメンバーとして知られている。1990年代後半からライム病とがんを患い、音楽と俳優活動を休止し画家として専念。
グラミー賞ノミネート 1回(2024年時点)
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1952年12月14日 | 1952年12月14日 | サックス | us |
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ジェフ・ローバー
Jeff Lorber |
1952年11月4日 | 1952年11月4日 | キーボード | フュージョン | us |
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アメリカのベーシスト、音楽プロデューサー。ベース・プレイヤー誌「史上最高のベーシスト」2017年53位。1970年にナイル・ロジャースとシックを結成しヒットを連発。「Good Times」(1979) 全米1位のベースラインは歴史上最もコピーされ、クイーン「Another One Bites The Dust」(1980) のインスピレーションとなった。肺炎により公演先の日本で他界。
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1952年10月31日 | 1996年4月18日 | 43 | ベース | R&B | us |
アール・スリック
Earl Slick アメリカのロック・ギタリスト。デヴィッド・ボウイ、ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、ロバート・スミス、ジョン・ウェイト、ティム・カリー、デイヴィッド・カヴァデールなどと共演。スレイ・キャッツのスリム・ジム・ファントム、リー・ロッカーと「ファントム、ロッカー&スリック」を結成した。
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1952年10月1日 | 1952年10月1日 | ギター | ロック | us |
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1952年9月19日 | 1952年9月19日 | プロデュース | ディスコ | us |
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イングランドのギタリスト・音楽プロデューサー。アニー・レノックス (Vo) とユーリズミックスを結成し世界で7,500万枚のレコードを売り上げた。
グラミー受賞 1回・ノミネート 7回(2024年時点)
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1952年9月9日 | 1952年9月9日 | ギター | ポップ | eg |
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1952年9月8日 | 1952年9月8日 | ベース | ジャズ | us |
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イングランド出身の歌手、ギタリスト。世界的パンクロック・バンド「ザ・クラッシュ」のフロントマン。ビートルズ、ウディ・ガスリー、ブルース・スプリングスティーンらから影響を受け音楽活動を開始。クラッシュ解散後は、バックバンド「ザ・メスカレロス」を結成。2002年、心臓疾患で他界。ストラマー、ミック・ジョーンズ、ポール・シムノン、トッパー・ヒードンの4人でクラッシュ再結成を検討していた最中であった。 グラミー受賞 1回・ノミネート 2回 |
1952年8月21日 | 2002年12月22日 | 50 | 男性歌手 | パンク | eg |
ジョン・ハイアット
John Hiatt アメリカのシンガーソングライター。1982年、ライ・クーダー、ジム・ディキンソンと共作した「Across the Borderline」をカントリー界のスター、フレディ・フェンダーが歌い、後にボブ・ディラン、ウィリー・ネルソン、ブルース・スプリングスティーンらがカバー。2000年、「Riding with The King」をB.B.キングとエリック・クラプトンがカバーした。ハイアットの楽曲は他にもリッキー・ネルソン、ジョー・コッカー、ドン・ヘンリー、エルヴィス・コステロ、ボン・ジョヴィなど多くのアーティストにカバーされている。
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1952年8月20日 | 1952年8月20日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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ジャニス・シーゲル
Janis Siegel |
1952年7月23日 | 1952年7月23日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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ニコレット・ラーソン
Nicolette Larson
アメリカの歌手。1970年代よりセッション・シンガーとして活動開始し、エミルー・ハリスやニール・ヤングのレコーディングに参加。
seealso
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1952年7月17日 | 1997年12月16日 | 45 | 女性歌手 | ポップ | us |
アメリカの世界的ロック・ドラマー、作曲家。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」2010年7位。カーヴド・エア解散後、1977年にスティング、アンディ・サマーズとポリスを結成し、世界的人気を博した。ポリス活動停止後は、スタンリー・クラーク、ロジャー・ダルトリー、ピーター・ガブリエルらと活動しつつ、フランシス・フォード・コッポラなどの映画音楽やオペラ・バレエ音楽を手掛けた。 グラミー受賞 7回・ノミネート 12回(2024年時点) |
1952年7月16日 | 1952年7月16日 | ドラム | ロック | us |
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アラン・パスクァ
Alan Pasqua アメリカのジャズ・ピアニスト、教育者、作曲家。セッション・ミュージシャンとしてボブ・ディラン、サンタナ、シェール、トニー・ウィリアムス、アラン・ホールズワース、ジョー・ウォルシュ、パット・ベネター、リック・スプリングフィールド、ジョン・フォガティ、マイケル・ブーブレ、松任谷由実らのレコーディングやツアーに参加した。
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1952年6月28日 | 1952年6月28日 | キーボード | フュージョン | us |
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ジノ・ヴァネリ
Gino Vannelli |
1952年6月16日 | 1952年6月16日 | 男性歌手 | ロック | ca |
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ニコ・マクブレイン
Nicko McBrain イングランドのドラマー。ヘヴィメタル・バンド「アイアン・メイデン」のメンバー。2013年、妻に模造刀で襲撃され薪で反撃した。
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1952年6月5日 | 1952年6月5日 | ドラム | メタル | eg |
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スコットランド出身のシンガー・ギタリスト。1974年にニューヨークでトーキング・ヘッズを結成し、ブライアン・イーノらをプロデューサーに迎え活動した。映画『ラストエンペラー』(1987) の音楽を手がけ、坂本龍一、コン・スーとともにアカデミー賞「作曲賞」とグラミー賞「賞映画・テレビ音楽賞」を受賞。 グラミー受賞 1回・ノミネート 7回(2024年時点) |
1952年5月14日 | 1952年5月14日 | 男性歌手 | ニューウェイブ | sc |
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ジャマイカのレゲエのドラマー・プロデューサー。1975年、ロビー・シェイクスピア (B) とスライ&ロビーを結成。ジュニア・マーヴィン「Police & Thieves」(1976)、ボブ・マーリー「Punky Reggae Party」(1977) 12インチ版、リー・ペリー「Night Doctor」(1984) などのレコーディングにも参加した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 13回(2024年時点) |
1952年5月10日 | 1952年5月10日 | ドラム | レゲエ | jm |
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モニカ・マンシーニ
Monica Mancini アメリカの歌手。大作曲家ヘンリー・マンシーニの娘。子供の頃は父の音楽よりもビートルズを好んで聴いていた。14歳で母や姉同様ヘンリー・マンシーニ合唱団でプロとして歌い始めた。ロサンゼルスでフリーランスのスタジオ・シンガーとなり、1998年『Monica Mancini』でデビュー。プラシド・ドミンゴ、クインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソンらと共演した。複数のグラミー賞とエミー賞を受賞したプロデューサーのグレッグ・フィールドと結婚。
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1952年5月4日 | 1952年5月4日 | 女性歌手 | ジャズ | it |
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アメリカのピアニスト。1972年、オールマン・ブラザーズ・バンドに加入。解散後、ロックバンド「シー・レヴェル」 (Sea Level) 結成。1982年、ローリング・ストーンズのツアーに参加し、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ロン・ウッドのソロ活動もサポートした。ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン、ブラック・クロウズなど共演多数。
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1952年4月28日 | 1952年4月28日 | ピアノ | ロック | us |
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アメリカの世界的ドラマー、世界的音楽プロデューサー。ホイットニー・ヒューストンを手掛けたことで有名。
グラミー受賞 3回・ノミネート 8回(2024年時点)
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1952年4月23日 | 1952年4月23日 | プロデューサー | R&B | us |
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北アイルランド出身の世界的ロック・ギタリスト、歌手、作曲家。1974年のシン・リジィ参加で有名になり、以降1980年代はハードロック、フュージョン等を中心に、1990年代以降はブルースロックを軸に活躍。影響を受けたギタリストはジェフ・ベック、ピーター・グリーン、エリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックスなど。ブルース時期以降からはオーティス・ラッシュの楽曲へのアプローチが顕著に見受けられる。2011年2月6日、休暇先のスペインで心臓発作を起こし急逝。息子のジャック・ムーアが「Danny Boy」を演奏して葬送された。
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1952年4月4日 | 2011年2月6日 | 58 | ギター | ブルースロック | nie |
ジェラルド・ウエルタ
Gerard Huerta |
1952年3月19日 | 1952年3月19日 | デザイン | us |
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1952年3月11日 | 1952年3月11日 | 実業家 | us |
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アメリカの歌手、ソングライター。ハスキーで渋みのある歌声が特徴で、スティーリー・ダン、ドゥービー・ブラザーズ、ケニー・ロギンスとの活動で知られている。 グラミー受賞 5回・ノミネート 14回(2024年時点)
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1952年2月12日 | 1952年2月12日 | 男性歌手 | R&B | us |
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フリオ・キリコ
Furio Chirico |
1952年1月14日 | 1952年1月14日 | ドラム | ロック | it |
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アメリカのジャズ・フュージョン系の世界的ギタリスト。16歳の頃、ママス&パパスのセッションに参加し、スタジオミュージシャンとしての活動開始。1990年、ボブ・ジェームス、ネイザン・イースト、ハーヴィー・メイソンとフォープレイを結成。多忙で脱退しラリー・カールトンが加入した。アントニオ・カルロス・ジョビン、ボブ・マーリーをテーマとしたアルバムをリリースした。
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1952年1月11日 | 1952年1月11日 | ギター | フュージョン | us |
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イングランドのエンジニア。エルトン・ジョンとのトごとで有名。1967年、15歳でディック・ジェームス・ミュージック(ビートルズの最初の出版社)に事務員として就職し、エルトン・ジョン「Lady Samantha」(1969) からエンジニアとしてキャリアをスタート。レッド・ツェッペリン『Coda』(1982) やクリス・レア「On The Beach」など多数の作品を手掛けた。
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1952年 | 1952年1月1日 | プロデュース | eg |
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ジミー・ハスリップ
Jimmy Haslip アメリカのベーシスト、編曲家、音楽プロデューサー。セッション・ミュージシャンとしてロベン・フォードをはじめ数多くのミュージシャンをサポート。イエロージャケッツのオリジナル・メンバーであったが、2012年にジャコ・パストリアスの息子フェリックス・パストリアスと交代した。
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1951年12月31日 | 1951年12月31日 | ベース | フュージョン | us |
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イヴォンヌ・エリマン
Yvonne Elliman ハワイ生まれの日系アメリカ人。1974年、全米1位になったエリック・クラプトンのアルバム「461 Ocean Boulevard」に参加し、5年間クラプトンのバンドでバック・ボーカルを担当。クラプトンの自伝ではふたりは深い関係になり、彼のジャパンツアーに来日しステージに立った。1978年「If I Can't Have You」全米1位。
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1951年12月29日 | 1951年12月29日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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カーラ・ボノフ
Karla Bonoff アメリカ西海岸を代表するシンガーソングライターのひとり。1968年、姉とフォーク・デュオを結成しプロ活動を開始するが、シングルデビューまでには至らず解散。その頃、ライブハウスでリンダ・ロンシュタット、ジャクソン・ブラウン、ジェームス・テイラー、後にイーグルスを結成するメンバーと知り合う。トラディッショナル・ソングのカバー「The Water Is Wide」が有名。
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1951年12月27日 | 1951年12月27日 | 女性歌手 | フォーク | us |
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アメリカのジャズ・フュージョン系のギタリスト。1974年、バークリー音楽院卒業。ビリー・コブハムとジョージ・デュークのバンドに参加。1976年、パット・メセニーに替わってゲイリー・バートン・カルテットに加入。1982年、マイルス・デイヴィス・グループに加入し1985年のツアーまで同行した。グラミー受 3賞回・ノミネート 9回(2024年時点)
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1951年12月26日 | 1951年12月26日 | ギター | ジャズ | us |
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ロベン・フォード
Robben Ford アメリカののギタリスト。1970年代にジャズバンド「Tom Scott & The L.A. Express」に加入し、バンドは1974年にジョージ・ハリスンのアメリカツアーのサポート、ジョニ・ミッチェル『The Hissing of Summer Lawns』と『Miles of Aisles』で演奏した。1986年、モントルー・ジャズ・フェスティバルでマイルス・デイヴィスと共演した。2022年、エリック・クラプトンのオープニングアクトとしてイタリアをツアーした。 グラミー賞ノミネート5回(2024年時点) |
1951年12月16日 | 1951年12月16日 | ギター | ジャズ | us |
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イングランドの著名エンジニア・プロデューサー。ローリング・ストーンズ、ピーター・フランプトン、マリアンヌ・フェイスフル、ジミー・クリフなど膨大な作品を手掛けた。
手掛けた作品
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1951年12月3日 | 1951年12月3日 | エンジニア | ロック | eg |
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アメリカの伝説的なベーシスト。ベース・プレイヤー誌「偉大なベーシスト100人」ジェームス・ジェマーソンに次いで2017年2位。 1976年、ボビー・コロンビー (Blood, Sweat & Tears) のプロデュースで1stアルバム『Jaco Pastorius』をリリース。ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、R&Bの大物サム&デイヴなど多数の豪華ミュージシャンが参加した。マイルス・デイヴィス『Amandla』(1989) 収録「Mr. Pastorius」(作曲:マーカス・ミラー)はジャコに捧げられた曲。ベーシストのフェリックス・パストリアスなど4人の子供を授かった。
グラミー受賞 1回・ノミネート 4回
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1951年12月1日 | 1987年9月21日 | 35 | ベース | フュージョン | us |
ロリ・リーバーマン
Lori Lieberman |
1951年11月15日 | 1951年11月15日 | 女性歌手 | フォーク | us |
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コージー・ファニ・トゥッティ
Cosey Fanni Tutti イングランドのパフォーマンスアーティスト・女性歌手。1975年、クリス・カーター、ピーター・クリストファーソン(元ヒプノシス)、ジェネシス・P・オリッジらと前衛音楽結成バンド「スロッビング・グリッスル」結成。1981年に解散後「クリス&コージー」を結成した。 See Also: クラウス・ノミ ローリー・アンダーソン |
1951年11月4日 | 1951年11月4日 | 女性歌手 | 前衛音楽 | eg |
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アメリカのベーシスト、歌手。ファンクの代表的なベーシストの一人で、ジェームス・ブラウンのバックバンド「The J.B.'s」やPファンクの主要メンバーとして有名。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト」2020年4位。2021年、アンダーソン・パーク、シルク・ソニック、ブルーノ・マーズと共演した「After Last Night」が全米68位を記録した。
グラミー受賞 1回・ノミネート 1回(2024年時点)
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1951年10月26日 | 1951年10月26日 | ベース | ファンク | us |
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キャロライン・ペイトン
Caroline Peyton アメリカの歌手、ソングライター、女優。1973年 Screaming Gypsy Bandits『In The Eye』に参加。1977年、ソロアルバム『Intuition』をリリースした後、女優としてブロードウェイに出演したりディズニーアニメ映画でヴォーカルを録音した。
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1951年10月8日 | 2021年8月11日 | 69 | 女性歌手 | ポップ | us |
アメリカのシンガーソングライター。世界売上6,000万枚以上。
グラミー受賞 1回・ノミネート 14回(2024年時点) |
1951年10月7日 | 1951年10月7日 | 男性歌手 | ロック | us |
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イングランドの世界的歌手、ベーシスト、ソングライター、俳優。1977年にポリスを結成し世界的人気を博した。ポリス活動休止後はソロとなり、グラミー賞など数々を受賞。バンド、ソロでのセールスは1億枚以上。 グラミー受賞 17回・ノミネート 45回(2024年時点) |
1951年10月2日 | 1951年10月2日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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イングランド出身のアメリカの世界的ロック・シンガー。ディープ・パープル3代目ヴォーカリスト、ホワイトスネイクでの活動で知られている。
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1951年9月22日 | 1951年9月22日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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カナダ出身の世界的音楽プロデューサー。ブライアン・イーノから影響を受け、共同でU2の名盤の他、主にロック、フォーク、カントリーの様々なアーティストをプロデュース。2009年、ブライアン・ブレイドらと Black Dub 結成した。
グラミー受賞 7回・ノミネート 15回(2024年時点) プロデュース作品
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1951年9月19日 | 1951年9月19日 | プロデュース | ロック | ca |
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ハーヴェイ・コーエン
Harvey Cohen |
1951年9月13日 | 2007年1月14日 | 55 | 作曲家 | ポップ | us |
アメリカのシンガーソングライター。プリテンダーズのヴォーカリスト兼ギタリスト。1973年、ロンドンへ移住してマルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドのブティック「SEX」で働いた。1978年、プリテンダーズを結成。フランク・シナトラ、シェール、ネナ・チェリー、UB40 と共演。2005年ロックの殿堂入り グラミー賞ノミネート 5回(2024年時点) |
1951年9月7日 | 1951年9月7日 | 女性歌手 | ロック | us |
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マーク・アイシャム
Mark Isham アメリカの作曲家・トランペット奏者・シンセサイザー奏者。本領は映画音楽だが、ローリング・ストーンズ、ファラオ・サンダース、ヴァン・モリソン、ジョニ・ミッチェル、デヴィッド・シルヴィアンらのレコーディングに参加し、音楽スタイルも幅広い。1990年グラミー賞を受賞。 グラミー受賞 1回・ノミネート 8回(2024年時点) |
1951年9月7日 | 1951年9月7日 | 作曲家 | 映画音楽 | us |
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グレン・ヒューズ
Glenn Hughes イングランドの歌手、ベーシスト。1970年にトラピーズのメンバーとしてデビューし、1974年に第3期ディープ・パープルに加入して世界的な注目を浴びた。様々なバンドやプロジェクト、ソロで活動を続けている。
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1951年8月21日 | 1951年8月21日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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アメリカの歌手・ソングライター・マルチ楽器奏者。アダルトコンテンポラリーの名曲「What You Won't Do for Love」で知られ、特に日本で根強い人気を誇っている。マンハッタンで生まれマイアミ育ち。母はマイアミの不動産業者でボビーは顧客のボブ・マーリー (1945–1981) と友人になった。
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1951年8月15日 | 2023年3月14日 | 71 | 男性歌手 | AOR | US |
アメリカ人のロック・ギタリスト。ビリー・コブハムのアルバム『Spectrum』での超絶プレイが評判となり、リッチー・ブラックモアの後任としてディープ・パープルに加入した。1976年12月4日、ジェフ・ベックの前座としてツアー中、マイアミのホテルで薬物の過剰摂取により25歳で他界した。
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1951年8月1日 | 1976年12月4日 | 25 | ギター | ハードロック | us |
T.M.スティーヴンス
T. M. Stevens アメリカのベーシスト、歌手、作曲家、音楽プロデューサー。1978年3月2日、マイルス・デイヴィスのセッションにラリー・コリエル、菊地雅章、アル・フォスターらと参加。▶ Miles Davis Columbia Session 1978 ジェームス・ブラウン、ナラダ・マイケル・ウォルデン、スティーヴ・ヴァイ、ジョー・コッカー、シンディ・ローパー、リトル・スティーヴン、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエルらのレコーディングに参加した。 |
1951年7月28日 | 2024年3月10日 | 72 | ベース | ファンク | us |
マイケル・ヘンダーソン ★
Michael Henderson アメリカのジャズ・ベートシスト・歌手。ジェームス・ジェマーソン (1936–1983, 47)、ボブ・バビット (1937–2012, 74) とともにモータウンを代表するベーシスト。スティーヴィー・ワンダーのベーシストとして頭角を現し、マーヴィン・ゲイ、アレサ・フランクリン、ドクター・ジョンらと共演。マイルス・デイヴィス『Jack Johnson』(1970) 『Live-Evil』(1971)『Pangaea』1976) などアルバム9作に参加した。ジェイZ、スヌープ・ドッグ、LLクールJ、エミネムらのにサンプリング、カバーされた。
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1951年7月7日 | 2022年7月19日 | 71歳 | ベース | ジャズ | us |
アメリカの超絶技巧のベーシスト。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト50選」13位。
グラミー受賞 3回・ノミネート 12回(2024年時点)
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1951年6月30日 | <1951年6月30日/span> | ベース | フュージョン | us |
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ホルヘ・サンタナ
Jorge Santana |
1951年6月13日 | 2020年5月14日 | 68 | ギター | ロック | mx |
アメリカ合衆国インディアナ州出身の世界的女性ソウル・シンガー、ソングライター、音楽プロデューサー。スティーヴィー・ワンダー、シリータ・ライト 、ミニー・リパートン 、ロバータ・フラックらの楽曲に参加。1975年にモーリス・ホワイトとチャールズ・ステップニーが設立したカリンバ・プロダクション、コロムビア・レコードと契約し1stアルバム『This Is Niecy』(1976) 全米33位・R&B3位をリリースした。
グラミー受賞 4回・ノミネート 13回(2024年時点)
See Also |
1951年6月3日 | 1951年6月3日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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ジョーイ・ラモーン
Joey Ramone |
1951年5月19日 | 2001年4月15日 | 49 | 男性歌手 | パンク | us |
プエルトリコ出身のギタリスト。1970年代中盤以降20年近くデヴィッド・ボウイと共演。他のどのミュージシャンよりも多くのボウイのアルバムで演奏している。
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1951年5月7日 | 1951年5月7日 | ギター | ロック | pr |
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バーニー・マースデン
Bernie Marsden イングランドのギタリスト。1970年代からプロとして活動し、UFO、コージー・パウエルズ・ハマーなどを経て、1977年ホワイトスネイクに加入。デイヴィッド・カヴァデールとヒット曲「Here I Go Again」を共作した。
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1951年5月7日 | 2023年8月24日 | 72 | ギター | ロック | eg |
アメリカの世界的シンガーソングライター。 デビュー・アルバムがグラミー賞を独占し、クリスタルのようなハイトーンボイスで一躍AORを代表する歌手となった。 グラミー受賞 5回・ノミネート 9回(2024年時点)
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1951年5月3日 | 1951年5月3日 | 男性歌手 | ロック | us |
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アメリカのブラック・コンテンポラリーの世界的シンガーソングライター。「ベルベット・ヴォイス」として知られ、ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」54位。世界売上4,000万以上。1970年代にロバータ・フラック、バーブラ・ストライサンド、ダイアナ・ロス、ゲイリー・グリッター、カーリー・サイモン、トッド・ラングレン、ドナ・サマー、ベット・ミドラー、ジャクソン・ブラウン、デヴィッド・ボウイ、チャカ・カーン、シックらのバック・ヴォーカルを務め、1981年1stアルバム『Never Too Much』でソロ・デビュー。2003年に脳卒中で倒れ、復帰したものの2005年に54歳で他界した。
グラミー受賞 8回・ノミネート 33回
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1951年4月20日 | 2005年7月1日 | 54 | 男性歌手 | R&B | us |
ピーボ・ブライソン
Peabo Bryson アメリカのR&B歌手。バラッドの名手として知られ、セリーヌ・ディオンとのデュエットしたディズニーアニメ『美女と野獣』の主題歌「Beauty And The Beast」でグラミー賞を獲得した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 8回(2024年時点) |
1951年4月13日 | 1951年4月13日 | 男性歌手 | R&B | us |
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アメリカのシンガーソングライター。日本とヨーロッパでも絶大な人気を誇った天才的アーティスト。
グラミー受賞 2回・ノミネート 10回(2024年時点)
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1951年4月7日 | 1951年4月7日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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インド出身の世界的タブラ奏者。父アラ・ラカも著名なタブラ奏者。ノラ・ジョーンズの父で世界的シタール奏者ラヴィ・シャンカルのサポートをするようになり、1970年にアメリカでデビュー。ジョン・マクラフリンらとシャクティ、ビル・ラズウェルとタブラ・ビート・サイエンスを結成し、グレイトフル・デッドのパーカッション奏者ミッキー・ハートやヴァン・モリソンと共演した。
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1951年3月9日 | 2024年12月15日 | 73 | タブラ | インド | in |
イングランドのシンガーソングライター。世界売上3,000万枚以上。主にヨーロッパで人気を博し、日本では「On The Beach」(1986) 全英57位が有名。イーグルスのジョー・ウォルシュに憧れ音楽活動を開始。1974年「So Much Love」でデビュー。1978年、エルトン・ジョンを手掛けたガス・ダッジョンのプロデュースで1stアルバム『Whatever Happened To Benny Santini?』(全米49位)リリース。「Fool (If You Think It's Over)」全米12位・アダルト・コンテンポラリー・チャート1位を獲得した。10thアルバム『The Road to Hell』(1989) 全米107位・全英1位、11thアルバム『Auberge』(1991) 全米176位・全英1位。
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1951年3月4日 | 1951年3月4日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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スティーヴ・ハーレイ
Steve Harley イギリスのシンガーソングライターで、ロックバンド「スティーヴ・ハーレイ&コックニー・レベル」フロントマン。「Judy Teen」(1974) 全英5位「Mr. Soft」(1974) 全英8位「Make Me Smile (Come Up and See Me)」(1975) 全英1位を獲得。
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1951年2月27日 | 2024年3月17日 | 73 | 男性歌手 | ロック | eg |
ランディ・カリフォルニア
Randy California アメリカのロック・ギタリスト、歌手。1966年、無名時代のジミ・ヘンドリックスが結成したジミー・ジェイムス&ザ・ブルー・フレイムスに参加。解散後、1967年にスピリットを結成した。1997年1月2日、ハワイで溺れていた息子を救出後、45歳で溺死。2014年、ランディの遺産管財人がレッド・ツェッペリン「Stairway to Heaven」(天国への階段)に対し、スピリット「Taurus」(トーラス)の盗作として訴えたが、2016年6月23日、連邦地裁は盗作ではないと判断した。
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1951年2月20日 | 1997年1月2日 | 45 | ギター | ロツク | us |
アルフォンソ・ジョンソン
Alphonso Johnson アメリカのジャズ・ベーシスト。1974年、ウェザー・リポートに加入し、4thアルバム『Mysterious Traveller』から6thアルバム『Black Market』まで参加。1985年から1989年までサンタナに加入。フィル・コリンズ、ウェイン・ショーター、デヴィッド・ギルモアらのレコーディングやツアーに参加した。
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1951年2月2日 | 1951年2月2日 | ベース | ジャズ | us |
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イングランドの世界的ロック・シンガー、ドラマー、音楽プロデューサー。世界売上1億5,000万枚以上。「You Can't Hurry Love」(1982年・邦題「恋はあせらず」1966年のスプリームスのカバー)「Against All Odds (Take A Look At Me Now)」(1984年・邦題「見つめて欲しい」)、「Easy Lover」(1984) 「Sussudio」(1985)「Another Day in Paradise」(1989) が世界中で大ヒット。1970年、ジェネシスにドラマーとして加入。バンドとソロを兼任しながら、ロバート・プラントらのプロデュースも行った。 グラミー受賞 8回・ノミネート 27回(2024年時点) |
1951年1月30日 | 1951年1月30日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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ブライアン・ダウニー
Brian Downey |
1951年1月27日 | 1951年1月27日 | ドラム | ロック | ie |
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ニューヨーク・ブロンクス出身のプエルトリコ系ラテン・ジャズ・ベーシスト。スティーヴ・スワロウにベースを師事し、在学中にレイ・バレットやモンゴ・サンタマリアの息子モンギートらと演奏した。ジョージ・ベンソン、ディジー・ガレスピー、ティト・プエンテ、エディ・パルミエリ、キップ・ハンラハン、アストル・ピアソラ、デヴィッド・バーン、ロニー・ジョーダン、ハービー・ハンコック、ジャック・ブルースなど数々のレコーディングに参加。1stアルバム『Entre Colegas』(2016) がグラミー賞「最優秀ラテンジャズアルバム」ノミネートされた。弟はトランペット・パーカッション奏者のジェリー・ゴンザレス (1949–2018, 69)。
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1951年1月1日 | 2020年4月9日 | 69 | ベース | ラテン | us |
エディ・ジョーンズ
Eddie Johns |
1951年 | 1951年1月1日 | 男性歌手 | ディスコ | lr |
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ニッキー・バークレー
Nickey Barclay |
1951年 | 1951年1月1日 | 女性歌手 | ロック | us |
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アメリカの著名レコーディング・エンジニア。 スカイウォーカー・サウンド(ルーカス・フィルム社の子会社)のレコーディングおよびスコアリング・ディレクター。1978年、デヴィッド・ルビンソンが設立したスタジオ「オートマット」に就職し、エンジニアとしてハービー・ハンコックや映画『地獄の黙示録』(1979) を手掛けた。1984年にオートマットが閉鎖し、フリーランスとしてウィンダム・ヒル・レコードやオリビア・レコード、キャピトル・スタジオを経て、1997年にスカイウォーカー・サウンドに就職。グラミー賞を授与する全米レコーディング芸術科学アカデミー評議員会の初の女性役員となり会長を務めた。父は冗談音楽の王様スパイク・ジョーンズ、母は歌手ヘレン・グレイコ。 グラミー受賞 7回・ノミネート 9回(2024年時点) |
1951年 | 1951年1月1日 | エンジニア | us |
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1950年12月27日 | 1950年12月27日 | ドラム | ロック | us |
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ジャマイカのドラマー。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのメンバーとして知られている。「War」を作曲し、兄アストンと「Talkin' Blues」を共作した。妻とその愛人が共謀し射殺された。
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1950年12月17日 | 1987年4月17日 | 36 | ドラム | レゲエ | jm |
ステラ・ヴァンデ
Stella Vander |
1950年12月12日 | 1950年12月12日 | 女性歌手 | ポップ | fr |
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1950年12月12日 | 1950年12月12日 | アコーディオン | ジャズ | fr |
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ジョーン・アーマトレーディング
Joan Armatrading |
1950年12月9日 | 1950年12月9日 | 女性歌手 | フォーク | eg |
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ジョセリン・ブラウン
Jocelyn Brown |
1950年11月25日 | 1950年11月25日 | 女性歌手 | R&B | us |
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アメリカのシンガーソングライター、ギタリスト。1976年にロック・バンド「トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ」、1989年からソロとして活動し世界的人気を博した。ローリング・ストーン誌「偉大な100組のアーティスト」91位。1988年、ロイ・オービソン、ボブ・ディラン、ジョージ・ハリスン、ジェフ・リンとトラヴェリング・ウィルベリーズを結成した。 グラミー受賞 3回・ノミネート 18回 |
1950年10月20日 | 2017年10月2日 | 66 | 男性歌手 | ロック | us |
アメリカのギタリスト。1973年、エアロスミスのメンバーとしてデビュー。スティーヴン・タイラーとの確執で1980年に脱退したが、1984年に和解し復帰。憧れのジェフ・ベックとはエアロスミスのステージなどで共演した。 グラミー受賞 4回・ノミネート 17回(2024年時点) |
1950年9月10日 | 1950年9月10日 | ギター | ハードロック | us |
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スコットランドのベーシスト。エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ピーター・グリーン、ホワイトスネイク、ゲイリー・ムーア、ブライアン・メイ、スティング、ビル・ブルーフォード、コージー・パウエル、VOW WOW、ブラック・サバス、マイケル・シェンカー・グループらと共演したハードロック界屈指のベーシスト。
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1950年8月27日 | 1950年8月27日 | ベース | ロック | sc |
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デクスター・ワンセル
Dexter Wansel |
1950年8月22日 | 1950年8月22日 | キーボード | ジャズファンク | us |
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アメリカ合衆国ニューヨーク市ハーレム出身の女性歌手。4歳でアポロ・シアターにてデビューし、5歳でRCAレコードと契約。クインシー・ジョーンズとダイナ・ワシントンが洗礼時に代父母を務めた。1960年代後半よりセッション・ミュージシャンとなり、アル・クーパー、キャット・スティーヴンス、ポール・サイモン、フランキー・ヴァリ、ロバータ・フラック、ジョー・コッカーなどのアルバムにバック・ヴォーカルとして参加。1976年1stアルバム『End Of A Rainbow』(CTI) でソロ・デビュー。1982年、ジェームス・イングラムとデュエットした「Baby, Come To Me」で全米1位を獲得。『Avant Gershwin』(2008) でグラミー賞を受賞した。 グラミー受賞 1回・ノミネート 7回(2024年時点) |
1950年8月10日 | 1950年8月10日 | 女性歌手 | R&B | us |
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イギリスの実業家。コングロマリット「ヴァージン・グループ」の創設者で会長。17歳のときにパブリックスクールを中退し、趣味で始めた中古レコードの通信販売で成功を収め、1973年にヴァージン・レコード設立。セックス・ピストルズやカルチャー・クラブらが所属しイギリスを代表するレーベルの1つへと成長させた。1992年、EMIにヴァージン・レコードを売却した。
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1950年7月18日 | 1950年7月18日 | 実業家 | eg |
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アメリカ合衆国ニューヨーク市出身の女性歌手、作曲家、ギタリスト。ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、クリーム、スライ&ザ・ファミリー・ストーンを愛聴し、ギターを弾きはじめた。レオン・ラッセルとシェルター・レコードを共同設立したデニー・コーデルに見出され、1974年1stアルバム『Phoebe Snow』(Shelter) でデビュー。収録シングル「Poetry Man」全米5位・AC1位が大ヒットしグラミー賞「最優秀新人」にノミネートされた。1975年、ポール・サイモン「50 Ways to Leave Your Lover」にパティ・オースティン、ヴァレリー・シンプソンと共にバック・ヴォーカルで参加。サイモンやジャクソン・ブラウンの前座を務め、1992年にはドナルド・フェイゲンのツアーに同行した。 グラミー賞ノミネート 1回 |
1950年7月17日 | 2011年4月26日 | 60 | 女性歌手 | ポップ | us |
アメリカの歌手、俳優。アメリカの世界的ロック・バンド、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのフロントマンとして有名。1985年、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌「The Power Of Love」が全米1位を獲得。ヒューイも映画に脇役(オーディションの審査員)としてカメオ出演した。 グラミー受賞 1回・ノミネート 6回(2024年時点) |
1950年7月5日 | 1950年7月5日 | 男性歌手 | ロック | us |
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ギンガ
Guinga |
1950年6月10日 | 1950年6月10日 | ギター | MPB | br |
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スージー・クアトロ
Suzi Quatro
アメリカ出身イギリスの女性ロック歌手、ベーシスト、ソングライター、女優。60年以上のキャリアを持つ女性ロック界の先駆者。
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1950年6月3日 | 1950年6月3日 | 女性歌手 | ロック | us |
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アメリカの女性ジャズ・シンガー、俳優。1990年代以降、ダイアン・リーヴス、カサンドラ・ウィルソン、ダイアナ・クラールらと共に最も成功した女性ジャズ・シンガーの一人。16歳の時、R&Bバンドの歌手としてナイトクラブで歌いはじめ、ミシガン州立大学とイリノイ大学で学んだ。ホレス・シルヴァー、サド・ジョーンズ&メル・ルイス・ジャズ・オーケストラ、ソニー・ロリンズ、ディジー・ガレスピー、デクスター・ゴードン、マックス・ローチ、ローランド・カークらと共演。
グラミー受賞 2回・ノミネート 8回(2024年時点)
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1950年5月27日 | 1950年5月27日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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1950年5月22日 | 1950年5月22日 | 作詞家 | ポップ | eg |
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1950年5月13日 | 1950年5月13日 | 男性歌手 | R&B | us |
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ボビー・ハンフリー
Bobbi Humphrey アメリカ合衆国テキサス州マーリ出身の女性ジャズ・フルート奏者、歌手。大学のタレント・コンテストで彼女の演奏を見たディジー・ガレスピーに促され、ニューヨークでキャリアを開始。すぐにブルーノートと契約し、1971年リー・モーガンのラストアルバム『The Last Session』(1972) に参加。モーガンはハンフリーの1stアルバム『Flute-In』(1971) に参加した。1973年、ジャズ・ファンクの名作『Blacks and Blues』21週全米84位をリリース。1976年、スティーヴィー・ワンダー「Another Star」に参加し、ビルボード誌「最優秀女性楽器奏者」に選ばれた。2002年、コモン『Electric Circus』に参加。
See Also |
1950年4月25日 | 1950年4月25日 | フルート | ジャズ | us |
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1950年4月22日 | 1950年4月22日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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アメリカのR&B歌手。1970年代ブラック・ミュージック界を席巻したフィラデルフィア・ソウルのトップスター。1970年、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツに加入し、1972年「If You Don't Know Me by Now」全米3位・R&B1位。この曲は1989年にシンプリー・レッドがカバーし全米1位を獲得した。1977年『Teddy Pendergrass』全米17位・ R&B5位でソロデビュー。「Do Me」(1979) はヒゲダンスのテーマ曲の元ネタとなった。 グラミー賞ノミネート 5回 |
1950年3月26日 | 2010年1月13日 | 59 | 男性歌手 | R&B | us |
イングランド出身の世界的ロック・ドラマー。エマーソン・レイク&パーマー、エイジアで世界的な成功を収めた。10歳の頃、ジーン・クルーパに衝撃を受けドラムを開始。スティーヴ・ウィンウッドとバンドを結成し、14歳でプロになった。
グラミー賞ノミネート 3回(2024年時点)
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1950年3月20日 | 1950年3月20日 | ドラム | ロック | eg |
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ボビー・マクファーリン
Bobby McFerrin アメリカのジャズ歌手。アル・ジャロウと並ぶ器楽的唱法が特徴。1988年、自身の声だけで多重録音した「Don't Worry, Be Happy」全米1位を獲得。楽器をしようしていない楽曲として史上初、ジャズ歌手の曲としてはルイ・アームストロング以来となった。父はオペラ歌手のロバート・マクファーリン。 グラミー受賞 10回・ノミネート 18回(2024年時点) See Also |
1950年3月11日 | 1950年3月11日 | 男性歌手 | ジャズ | us |
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アメリカの女性シンガー、ドラマー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2013年94位。世界売上1億枚以上。兄リチャード・カーペンターとデュオ「カーペンターズ」を結成。キャッチーで美しいメロディーとカレンのエモーショナルで気品高い歌声は世界中を席巻した。摂食障害に陥ったカレンは1983年2月4日、32歳で他界。カーペンターズは活動を終えた。
グラミー受賞 3回・ノミネート 7回 代表曲
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1950年3月2日 | 1983年2月4日 | 32 | 女性歌手 | ポップ | us |
ジェネシス・P・オリッジ
Genesis P-Orridge イングランドのパフォーマンス・アーティスト、歌手。1975年、コージー・ファニ・トゥッティ、クリス・カーター、ピーター・クリストファーソン(元ヒプノシス)、らと前衛音楽結成バンド「スロッビング・グリッスル」結成。1981年、新興宗教団体「スリー・テンプル・オブ・サイキック・ユース」を設立し、イギリス国外退去処分をうけニューヨークへ移住。性別はサード・ジェンダーを自認。
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1950年2月22日 | 2020年3月14日 | 74 | 女性歌手 | 前衛音楽 | eg |
アメリカのギタリスト、音楽プロデューサー。ドナルド・フェイゲンと結成したスティーリー・ダンのメンバーとして有名。1981年に解散後、ドナルド・フェイゲンやチャイナ・クライシス、リッキー・リー・ジョーンズ、マイケル・フランクスらをプロデュースした。 グラミー受賞 3回・ノミネート 10回 |
1950年2月20日 | 2017年9月3日 | 67 | ギター | フュージョン | us |
イングランドの歌手。ジェネシスの初代ヴォーカリスト。在籍時のジェネシスは奇抜な衣装・メイク・演出でヨーロッパで人気を博した。1980年代以降は映画音楽も数多く手掛けた。2014年ロックの殿堂入り。
グラミー受賞 6回・ノミネート 21回(2024年時点) ジェネシス
ソロ
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1950年2月13日 | 1950年2月13日 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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イングランドのギタリスト、シンガーソングライター。プログレッシブ・ロック・バンドジェネシス「ジェネシス」の元メンバー。2010年、同バンド名義でロックの殿堂入りした。2012年、イエスのベーシスト、クリス・スクワイアとのユニット「スクアケット」(Squackett)でアルバム『A Life Within A Day』をリリースした。
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1950年2月12日 | 1950年2月12日 | ギター | ロック | eg |
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アメリカのシンガーソングライター、女優。父は歴史的なジャズ・シンガーのナット・キング・コール (1919–1965 45)、母マリア・コール (1922–2012 89) はデューク・エリントン楽団の歌手。
グラミー受賞 9回・ノミネート 21回
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1950年2月6日 | 2015年12月31日 | 65 | 女性歌手 | R&B | us |
グラシーニャ・レポラーセ
Gracinha Leporace ブラジル出身のボサノヴァの女性歌手。1968年、『Gracinha Leporace』(Philips) を発表。その後、アイアート・モレイラ、エルメート・パスコアールらのバンド「クアルテート・ノーヴォ」に参加。セルジオ・メンデスにスカウトされボサリオに加入し、メンデスと結婚した。ボサリオと平行してブラジル'66にも参加し、ボサリオ解散後はブラジル'77に参加した。ドキュメンタリー映画『ペレ』(1977) のサウンドトラックでは、「Meu Mundo É Uma Bola (My World Is A Ball)」「Cidade Grande (Big City)」でペレとデュエット。セルジオ・メンデスをはじめエドゥ・ロボ、リー・リトナー、サラ・ヴォーン&ミルトン・ナシメント『Brazilian Romance』(1987) 収録「Your Smile」バックヴォーカルなどのレコーディングに参加した。。
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1950年1月20日 | 1950年1月20日 | 女性歌手 | ボサノヴァ | br |
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イングランドの音楽プロデューサー・ミキサー。1980年代にロビン・ミラーの Powerplant Studios ミキサーとして働き、ボーイ・ジョージ、エヴリシング・バット・ザ・ガール、スタイル・カウンシル、シャーデーなどのプロジェクトに参加。ロビン・ミラーからシャーデーのプロデュースを引き継ぎ、他にエレクトリック・ライト・オーケストラ、マックスウェルなどを手掛けた。
グラミー受賞 2回・ノミネート 1回
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1950年1月13日 | 2022年7月23日 | 72 | プロデュース | eg |