名前👤 | 誕生日⏳ | 命日⌛ | 年齢❤ | パート🎷 | ジャンル📖 | 出身🌏 |
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アメリカの音楽プロデューサー、作詞家、歌手、ベーシスト。ミシガン大学でクラシック音楽を学び、編曲家として活動した。
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1939年12月30日 | 1983年4月17日 | 43 | プロデュース | ロック | us |
アメリカの伝説的なユダヤ系音楽プロデューサー。「ロックンロールの狂気の天才」と呼ばれ、歴史的な名作の数々をプロデュースした。
プロデュース作品
トリビア
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1939年12月26日 | 2021年1月16日 | 81 | プロデュース | ポップ | us |
ドン・アライアス
Don Alias |
1939年12月25日 | 2006年3月29日 | 66 | パーカッション | ジャズ | us |
アメリカのピアニスト、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家。コンテンポラリー・ジャズ、フュージョンを代表するキーボーディストの一人。 グラミー受賞 2回・ノミネート 19回(2024年時点)
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1939年12月25日 | 1939年12月25日 | キーボード | フュージョン | us |
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1939年12月17日 | 1983年11月8日 | 43 | 男性歌手 | R&B | us |
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アメリカのR&B歌手、ソングライター。インプレッションズの初代リード・シンガー。ソロになってからはギャンブル&ハフと組みヒットを連発した。1991年ロックの殿堂入り。
グラミー賞ノミネート2回 代表曲
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1939年12月8日 | 2025年2月20日 | 85 | 男性歌手 | R&B | us |
アメリカ合衆国テネシー州出身のロック、R&Bの女性歌手。本名アンナ・メイ・ブロック・バーク (Anna Mae Bullock-Bach)。世界セールス2億枚以上、ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」17位。1960年、アイク&ティナ・ターナー「A Fool In Love」全米27位・R&B2位でデビュー。1984年「What's Love Got To Do With It」が全米1位を獲得し「Billboard Top 10」に6曲がチャートインした。1962年、アイク・ターナーと再婚(1978年離婚)。女優としてロック・ミュージカル『トミー』(1975)、『マッドマックス/サンダードーム』(1985)、『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993) などに出演した。 グラミー受賞 8回・ノミネート 25回 |
1939年11月26日 | 2023年5月24日 | 83 | 女性歌手 | ポップ | us |
アメリカのシンセサイザー奏者、作曲家。スタンリー・キューブリック監督の映画音楽などを手掛けた。
グラミー受賞 3回・ノミネート 6回
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1939年11月14日 | 1939年11月14日 | シンセサイザー | 電子音楽 | us |
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アメリカの音楽マネージャー、作家。1960–1980年代にかけて音楽業界の重役として活躍。パンクロックにおいて影響力を持ち、リンダ・スタインと共同でイギー&ザ・ストゥージズ、MC5、ラモーンズをマネジメントした。
ユダヤ人の家庭に生まれ、ペンシルベニア大学とハーバード大学ロースクール、ニューヨーク大学で学び、音楽業界に関わるようになった。1966年、ティーンファン雑誌「デートブック」の編集長に就任し、1966年9月号で物議を醸したジョン・レノンの「More popular than Jesus」(イエスよりも人気がある)発言を再掲載した。 アンディ・ウォーホルと交友し、イーディ・セジウィックとロフトを共有。ウォーホルがスポンサーとなったヴェルヴェット・アンダーグラウンドの本やライナーノーツを執筆し、音楽業界では早くから同性愛者であることを公言した。 1968年頃、エレクトラ・レコードに広報として雇われ、ジム・モリソンを多くのティーン雑誌の表紙に掲載し、さらなる人気に一役買った。1975年、フィールズはライブハウス「CBGB」でラモーンズを発見し、サイアー・レコードとの契約を手助けした。バンドをイギリスに連れて行き、セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムドなどパンク・ムーブメントに影響を与えた。 |
1939年11月13日 | 1939年11月13日 | マネージ | ロック | us |
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アメリカのフルート奏者。ジョー・サンプルらが結成したジャズ・クルセイダーズに加入。ジュリアード音楽院でクラシックの名フルート奏者ジュリアス・ベイカーに師事。1969–1972年にかけてニューヨーク・メトロポリタン歌劇場管弦楽団とニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団で演奏し、1971年よりCTIレコード でさまざまなジャズ・ミュージシャンと録音。ジャズとクラシック音楽ファンの支持を得た。ハービー・ハンコック、チック・コリア、マッコイ・タイナー、ナンシー・ウィルソン、クインシー・ジョーンズ、ポール・マッカートニー、ポール・サイモン、アレサ・フランクリン、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、レナード・バーンスタイン、ジャコ・パストリアス、セルジオ・メンデス、カーリー・サイモン、ジョージ・ベンソン、スティーヴィー・ワンダーらのレコーディングに参加した。 グラミー賞ノミネート3回 |
1939年11月10日 | 1939年11月10日 | フルート | ジャズ | us |
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アメリカの著名ロック・シンガー、画家。ジェファーソン・エアプレイン、ジェファーソン・スターシップ、スターシップのメンバーとして、1960–1970年代のサンフランシスコのサイケデリック・ロック・シーンを牽引した。1990年に音楽界から引退しアート活動に専念。1996年、ジェファーソン・エアプレインとしてロックの殿堂入り。 グラミー賞ノミネート 3回(2024年時点) |
1939年10月30日 | 1939年10月30日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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トゥンジ・オイェラナ
Tunji Oyelana |
1939年10月4日 | 1939年10月4日 | 男性歌手 | アフリカ | ng |
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johnnyotis
アメリカの著名なブルース・ギタリスト。テレキャスターの名手で、ギター・プレイヤー誌「50 Greatest Tones of All Time」に選出。ブライアン・ジョーンズ他界後、ローリング・ストーンズから加入をオファーされたが断ったことで有名。ジョニー・オーティスのバンドでキャリアをスタートし、トロントでいとこのロニー・ホーキンスのバンドに加入。ホーキンスのギタリストであったロビー・ロバートソンに影響を与え、ゲイリー・ムーアらによってカバーされた。1968年、ジミ・ヘンドリックスとジャム・セッション。1971年、ドキュメンタリー番組『Introducing Roy Buchanan』が放送されたことで、全米にその名が知れ渡った。1988年8月14日、拘留中に他界した。 グラミー賞ノミネート 1回 |
1939年9月23日 | 1988年8月14日 | 48 | ギター | ブルース | us |
エンリコ・ラヴァ
Enrico Rava |
1939年8月20日 | 1939年8月20日 | トランペット | ジャズ | it |
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ルーサー・アリスン
Luther Allison アーカンソー州出身のブルースシンガー・ギタリスト・ソングライター。マディ・ウォーターズの息子 * と知り合い、ブルースを独学。学校を中退しザ・ローリング・ストーンズというバンドを結成した。ハウリン・ウルフやフレディ・キングのバンドで演奏し、キングがツアーをしたときはキングのバンドを引き継いだ。1972年にモータウン・レコードと契約し、レーベル唯一のブルース・アーティストとなった。1977年、パリに移住しヨーロッパで地位を確立したが、アメリカでの存在感は薄れていった。 * マディ・ウォーターズのふたりの息子、マッド・モーガンフィールドは1954年、ビッグ・ビル・モーガンフィールドは1956年生まれ。 |
1939年8月18日 | 1997年8月12日 | 57 | ギター | ブルース | us |
イングランドの世界的ロックドラマー。世界中で3,500万枚以上を売り上げたブルースロック・トリオ「クリーム」(Cream) のメンバーとして有名。ローリング・ストーン誌「偉大なドラマー100」3位。フェラ・クティや坂本龍一、ジョン・ライドンなどさまざまなミュージシャンと共演。息子 Kofi Baker もドラマーである。
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1939年8月19日 | 2019年10月6日 | 80 | ドラム | ロック | eg |
フランキー・フォード
Frankie Ford |
1939年8月4日 | 2015年9月28日 | 76 | 男性歌手 | ロック | us |
アンネア・ロックウッド
Annea Lockwood |
1939年7月29日 | 1939年7月29日 | 作曲家 | 電子音楽 | nz |
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アメリカ合衆国のシンガーソングライター。初期のロックンロールでヒットを飛ばした。ローリング・ストーン誌「偉大なシンガー100人」2008年・63位。エルビス・プレスリー、ボブ・ディラン、ジョン・レノン、アート・ガーファンクル、ブルース・スプリングスティーンらが彼のファン。1957年グループ「ディオン&ザ・ベルモンツ」でデビューしヒットを連発した。1959年2月3日、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンスらの命を奪った「音楽が死んだ日」の飛行機に搭乗せずに無事を得た。1960年にソロ活動開始。2015年、大人気ゲーム『Fallout 4』で「The Wanderer」が異なるイメージで使用され訴訟となった。1989年ロックの殿堂入り。
代表曲
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1939年7月18日 | 1939年7月18日 | 男性歌手 | ロック | us |
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イングランドの、キーボーディスト、オルガニスト、ヴォーカリスト、作曲家。クロスオーバー・ミュージックの草分け的存在として知られている。
参加作品
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1939年7月18日 | 1939年7月18日 | キーボード | ロック | eg |
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スペンサー・デイヴィス
Spencer Davis
イングランド出身のロック・ギタリスト、歌手。1963年、スティーヴ・ウィンウッド (Vo/Org) らとスペンサー・デイヴィス・グループを結成。アイランド・レコードのクリス・ブラックウェルと契約し大人気を博した。バンド解散後はカリフォルニアに移り、アイランド・レコードの幹部としてボブ・マーリー、ロバート・パーマー、エディ&ザ・ホット・ロッズなどと仕事をした。1995年、ランディ・マイズナー (B/Eagles)、ボビー・キンボール (Vo/TOTO)、デニー・レイン (G/Moody Blues, Wings) とらワールド・クラシック・ロッカーズを結成した。
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1939年7月17日 | 2020年10月19日 | 81 | ギター | ロック | eg |
ボビー・ワインスタイン ★Bobby Weinstein
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1939年7月16日 | 2022年3月16日 | 82 | 作曲家 | ポップ | us |
アメリカのR&B・ゴスペルの歌手、女優、公民権活動家。彼女の家族によるバンド「ステイプル・シンガーズ」のメンバーとして知られている。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」56位。サム・クック、ビッグ・メイベル、ダイナ・ワシントン、クララ・ウォード、マヘリア・ジャクソン、シスター・ロゼッタ・サープ、シャーリー・シーザーなどの影響を受けた。
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1939年7月10日 | 1939年7月10日 | 女性歌手 | R&B | us |
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アメリカの歌手、ギタリスト、ソングライター、音楽プロデューサー。セッション・ミュージシャンとしてジョー・コッカー、レオン・ラッセル、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ミシェル・ルグランらと共演。ソングライターとしても素晴らしく、エヴァリー・ブラザース、ナンシー・ウィルソン、ナンシー・シナトラ、キャス・エリオット、ルルがデラニーの楽曲を歌った。
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1939年7月1日 | 2008年12月27日 | 69 | 男性歌手 | ロック | us |
イングランドの作曲家、作詞家、ピアニスト、音楽プロデューサー。1963年、ボビー・ライデル「Forget Him」を作詞・プロデュースし全米4位。以後、チャビー・チェッカー、コニー・フランシス、パット・ブーン、ビッグ・ディー・アーウィン、キーリー・スミスといったアメリカ人スターの曲も手掛けた。1965年よりデヴィッド・ボウイの1stシングル「Can't Help Thinking About Me」から3rdシングルまで手掛けたがヒットしなかった。2013年ソングライターの殿堂入り。
代表曲
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1939年6月30日 | 1939年6月30日 | 作詞家 | ポップ | eg |
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アメリカのブルース歌手、ソングライター。多くのロックンロール古典の作詞で知られる。十代でブルース歌手になり、ミルト・ジャクソンやキング・カーティスと共演。1940–1950年代に40曲を録音した。1950年代からロックンロールの作詞家としてモルト・シューマン、リーバー&ストーラー、フィル・スペクターと組み数々のヒット曲を作曲。ルー・リードを見出し音楽業界へ導いた。1995年、トリビュートアルバム『Till The Night Is Gone』にB.B.キング、ボブ・ディラン、ブライアン・ウィルソン、ディオン、ドクター・ジョンらが参加。1992年にロックの殿堂とソングライターの殿堂、2012年にブルースの殿堂入り。
代表曲
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1925年6月27日 | 1991年3月14日 | 65 | 作詞家 | ロックンロール | us |
ブリジット・フォンテーヌ
Brigitte Fontaine フランスのアバンギャルド・ミュージックの歌手。ロック、フォーク、ジャズ、ワールド・ミュージックなど、さまざまな音楽を融合。ステレオラブ、ミシェル・コロンビエ、ジャン=クロード・ヴァニエ、アレスキ・ベルカセム、ゴタン・プロジェクト、ソニック・ユース、アントワーヌ・デュアメル、アーチー・シェップ、アート・アンサンブル・オブ・シカゴらとコラボレートした。
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1939年6月24日 | 1939年6月24日 | 女性歌手 | 前衛音楽 | fr |
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ジミー・ホップス
Jimmy Hopps |
1939年6月18日 | 1939年6月18日 | ドラム | ジャズ | us |
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ダニエル・リクター
Dan Richter
アメリカの俳優、ジョン・レノンのアシスタント。キューブリックは 映画『2001年宇宙の旅』(1968) で、パントマイム一座を率いロンドンで活動していたリクターに猿人族のリーダー役と「人類の夜明け」シーンの振付を任せた。1965年6月3日、友人のビート詩人アレン・ギンズバーグが全裸で過ごした誕生会で初めてビートルズのメンバーと会った。その後、ジョン・レノンとオノ・ヨーコのアシスタントを4年間務め、1972年に映画『Imagine』に出演。この頃の回想録『The Dream Is Over』は2012年に出版された。リクター「完全な自由の時代、すべてが変わった時代でした。世界はロックンロールのビートに合わせて動き、耳を傾け、そして離れていきました」
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1939年6月15日 | 1939年6月15日 | 俳優 | ロック | us |
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バーナード・パーディ
Bernard Purdie アメリカのドラマー。1971年、ハーレム・リヴァー・ドライヴに参加。キング・カーティスのバンドを経て、アレサ・フランクリンのバンドマスターになった。ジェームス・ブラウン「Ain't That A Groove」「It's A Man's, Man's, Man's World」で演奏した。
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1939年6月11日 | 1939年6月11日 | ドラム | R&B | us |
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アメリカのR&B・ロックンロールの歌手。1963年のヨーロッパ・ツアーでは、ビートルズを上回るヘッドライナーを務めた。1980年代以降は彼のフォロワーだったブルース・スプリングスティーンやビル・ワイマンと活動した。
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1939年6月6日 | 1939年6月6日 | 男性歌手 | R&B | us |
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イアン・ハンター
Ian Hunter イングランドのシンガーソングライター。グラムロック全盛期に人気を博したモット・ザ・フープルのフロントマン。バンド解散後はミック・ロンソンと組み、2024年現在までコンスタントにアルバムをリリース。2ndアルバム『All American Alien Boy』 (1976) にジャコ・パストリアス (B/「God (Take I)」ではギターも)、デイヴィッド・サンボーン (Sax)、エインズリー・ダンバー (Dr)、「You Nearly Did Me In」ではクイーンのメンバーがコーラスで参加。
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1939年6月3日 | 1939年6月3日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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マリリン・マクロード
Marilyn McLeod アメリカのソングライター・歌手。モータウンのソングライターとしてキャリア。ダイアナ・ロス、マーヴィン・ゲイ、スモーキー・ロビンソン、スティーヴィー・ワンダーらの楽曲をてがけた。姉はジョン・コルトレーンの妻アリス・コルトレーン。
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1939年5月27日 | 2021年11月24日 | 82 | 作詞家 | R&B | us |
トニー・アッシャー
Tony Asher ロンドン出身のアメリカ人の作詞家。ビーチ・ボーイズ『Pet Sounds』(1966) でブライアン・ウィルソンと8曲を共作。『神のみぞ知る』『素敵じゃないか』を書いた。同アルバムはローリング・ストーン誌「最も偉大なアルバム500」2位。
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1939年5月2日 | 1939年5月2日 | 作詞家 | ロック | eg |
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1939年5月1日 | 1939年5月1日 | 女性歌手 | フォーク | us |
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イングランドの世界的女性歌手、女優。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」35位。1960年代に兄ディオンらと結成したスプリングフィールズ、脱退後はソロとなりミュージカルや司会者としても大人気を博した。その後ドラッグとアルコール依存、トラブル、問題発言などで長期低迷したが、1987年にペット・ショップ・ボーイズとのコラボで復活した。乳がんにより59歳で他界。
グラミー賞ノミネート 2回
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1939年4月16日 | 1999年3月2日 | 59 | 男性歌手 | ポップ | eg |
1939年4月15日 | 1939年4月15日 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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アメリカの世界的R&B歌手・作曲家。アレサ・フランクリン『Young, Gifted and Black』(1972) ではオルガン・エレクトリックピアノを担当。 グラミー受賞 2回・ノミネート 12回 |
1939年4月2日 | 1984年4月1日 | 44 | 男性歌手 | R&B | us |
1939年3月13日 | 1939年3月13日 | 女男性歌手 | ポップ | us |
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ジョニー・ジェンキンス
Johnny Jenkins ジョージア州出身のブルース・ギタリスト、歌手。派手なギター演奏スタイルはジミ・ヘンドリックスに影響を与えた。自身のバンド「パイントッパーズ」に当時無名のオーティス・レディングに歌手として雇いキャリアに貢献した。
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1939年3月5日 | 2006年6月26日 | 67 | ギター | ブルース | us |
ジョン・フェイヒ
John Fahey |
1939年2月28日 | 2001年2月22日 | 61 | ギター | フォーク | us |
レイ・マンザレク
Ray Manzarek |
1939年2月12日 | 2013年5月20日 | 74 | オルガン | ロック | us |
アメリカの作詞家。ビルボード「HOT 100」114曲以上、「TOP 40」59曲、全米1位8曲を送り込んだ。1959年キャロル・キングと結婚し(1968年離婚)、夫妻でソングライティングチームを組んで大成功を収めた。1990年、キャロル・キングとともにロックの殿堂入り。
代表曲
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1939年2月11日 | 2014年6月19日 | 75 | 作詞家 | R&B | us |
1939年2月9日 | 1939年2月9日 | 作詞家 | ポップ | us |
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ジョニー・ブリストル
Johnny Bristol アメリカのソングライター、音楽プロデューサー。1960–1970年代にモータウンでの仕事が有名。「Hang On In There Baby」(1974) 米国10位・英国3位、オズモンズがカバーした「Love Me For A Reason」(1974) 全英1位。プロデューサーとしてマーヴィン・ゲイとタミー・テレルの「Ain't No Mountain High Enough」全米1位など多数。1973年、CBS に移籍しトム・ジョーンズ、マリーナ・ショウ、ジョニー・マティス、ジェリー・バトラー、ボズ・スキャッグスなどのプロデュースと作詞を手掛けた。妻はアイリス・ゴーディ(ベリー・ゴーディの姪)。
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1939年2月3日 | 2004年3月21日 | 65 | プロデュース | R&B | us |
フランスのシャンソン歌手、作詞、作曲家、音楽プロデューサー。1960–1970年代にかけてフランスで大人気を博した。レコード売上2,000万枚以上、死後600万枚を売り上げた。1962年「Belles, Belles, Belles」(エヴァリー・ブラザースのフランス語カバー)がヒット。1967年、フランス・ギャルと破局し「Comme d'Habitude」を共作。フランスに滞在していたポール・アンカがこれを聴き英語歌詞を付け、1969年に「My Way」としてフランク・シナトラが歌い世界的に大ヒットした。「Parce Que Je T'aime Mon Enfant」にも英語詞がつけられ、1970年にエルヴィス・プレスリー「My Boy」(全米20位)として歌われた。レコード会社・出版社・モデルエージェンシーを経営し事業を拡大。1975年にホテルのロビーで爆弾が爆発、2年後に車を運転中にファンに撃たれかけ、ともに難を逃れたが1978年3月11日、浴室で感電死した。39歳までに500曲以上を書いた。
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1939年2月1日 | 1978年3月11日 | 39 | 男性歌手 | シャンソン | fr |
アメリカのジャズ/フュージョンのピアニスト。1952年、高校仲間とバンドを結成し、1960年に「ジャズ・クルセイダーズ」としてデビューし、1972年「クルセイダーズ」に改名。1979年、ランディ・クロフォードをゲストに迎え、よりポップな路線でアプローチした『Street Life』全米18位を記録。1960年代後半からソロ活動で成功を収め、マイルス・デイヴィス、ジョージ・ベンソン、マイケル・フランクス、B.B.キング、エリック・クラプトン、スティーリー・ダン、ジョニ・ミッチェルなど多数のレコーディングに参加。1966年、パーシー・フェイス楽団のピアニストとして初来日した。『Carmel』(1979年・邦題『渚にて』)などリーダーアルバム多数。レイラ・ハサウェイと共作した『The Song Lives On』(1998) も大ヒットし、ビルボード「メインストリーム・ジャズ・アルバム」を受賞した。
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1939年2月1日 | 2014年9月12日 | 75 | ピアノ | ジャズ | us |
アレックス・ウォートン
Alex Wharton イングランドの音楽プロデューサー、エンジニア、俳優。大物プロデューサーのミッキー・モストと「モスト・ブラザーズ」を結成し、1957年にはデッカからデビューしたが翌年解散。世界的ロックバンドのムーディー・ブルースを発掘しマネジメント。「Go Now」(1964) をプロデュースし全米1位・全米10位を獲得した。1971年に音楽業界を去った。
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1939年 | 1939年1月1日 | プロデュース | ロック | eg |
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イングランドの音楽プロデューサー、マネージャー。アニマルズのベーシストを経て、ジミ・ヘンドリックスやスレイドのマネジメントとプロデュースを手掛けた。
プロデュース Jimi Hendrix Experience
プロデュース Slade
Singles Albums |
1938年12月18日 | 1996年7月17日 | 57 | プロデュース | ロック | eg |
ゲイリー・アッシャー
Gary Usher |
1938年12月14日 | 1990年5月25日 | 51 | プロデュース | ロック | us |
1938年12月12日 | 1938年12月12日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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アメリカのジャズ・ピアニスト。1955年にジョン・コルトレーンと出会い、1960年にコルトレーンのバンドに加入。ジミー・ギャリソ (B) やエルヴィン・ジョーンズ (Dr) と共にコルトレーンを支え、『Coltrane』(1962)『Ballads』(1963)『A Love Supreme』(1965)『Ascension』(1965) など多くの作品に参加。1962年にはインパルス!と契約し初リーダー・アルバム『Inception』をリリース。コルトレーンがフリー・ジャズに傾倒し、音楽性の違いから1965年12月にグループを脱退した。
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1938年12月11日 | 2020年3月6日 | 81 | ピアノ | ジャズ | us |
アメリカのギタリスト、シンガーソングライター。ブルース、ロカビリー、カントリー、ジャズが融合しオクラホマ州タルサで生まれた音楽スタイル「タルサ・サウンド」で有名で、エリック・クラプトンらに影響を与えた。エリック・クラプトンとの共作アルバム『The Road to Escondido』(2006) で第50回グラミー賞「最優秀コンテンポラリー・ブルース・アルバム」にノミネートされた。
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1938年12月5日 | 2013年7月26日 | 74 | ギター | ブルース | us |
プーチョ
Pucho |
1938年11月1日 | 2022年9月21日 | 83 | パーカッション | ラテン | us |
アメリカの伝説的なロックンローラー。人気絶頂期に事故死を遂げた。
Singles
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1938年10月3日 | 1960年4月17日 | 21 | ギター | ロック | us |
ニック・グレイヴナイツ
Nick Gravenites
アメリカのブルース、ロック、フォークの歌手、ギタリスト、作詞家。シカゴ大学に在学中、ポール・バターフィールドやマイク・ブルームフィールドと出会いブルースに魅了された。
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1938年10月2日 | 1938年10月2日 | 男性歌手 | ブルース | us |
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1938年9月28日 | 2015年4月30日 | 76 | 男性歌手 | R&B | us |
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1938年8月21日 | 2020年3月20日 | 81 | 男性歌手 | カントリー | us |
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デイヴ・ベイビー・コルテス
Dave Baby Cortez |
1938年8月13日 | 1938年8月13日 | オルガン | R&B | us |
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イアン・スチュワート
Ian Stewart スコットランド出身のキーボーディスト。ローリング・ストーンズの結成時メンバーの一人でピアノを担当。プロデューサーのアンドリュー・ルーグ・オールダムから「バンドの雰囲気に合わない」という理由でデビュー前にバンドを解雇された。ストーンズが所有していた車載スタジオ「モービル・ユニット」の発案者であり、1981年に唯一のアルバム『Rocket 88』をリリースした。1985年12月12日、心臓発作により47歳で他界。
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1938年7月18日 | 1985年12月12日 | 47 | キーボード | ロック | sc |
アメリカの人気ジャズ・トランペット奏者。1956年、ディジー・ガレスピー楽団に加入。翌年ブルー・ノートから初リーダー・アルバム『Indeed!』をリリースし、天才トランペッター、クリフォード・ブラウンの再来と呼ばれた。1958年、ジャズ・メッセンジャーズに加入し「Moanin'」を作曲。1963年『The Sidewinder』が全米25位を記録。ブルーノート史上最も売れたレコードとなり、レーベルを破産寸前から救った。1972年2月18日、ライブの休憩中に愛人に撃たれ33歳で他界した。
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1938年7月10日 | 1972年2月19日 | 33 | トランペット | ジャズ | us |
スナッフ・ギャレット
Snuff Garrett |
1938年7月5日 | 2015年12月16日 | 77 | プロデュース | us |
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アメリカの著名R&B歌手、ソングライター。1971年「Ain't No Sunshine」でデビューし数々のヒット曲を残した。レーベルのサウンドに対する干渉に嫌気がさし、1985年頃に引退した。ローリング・ストーン誌「偉大なシンガー200人」2023年106位。 グラミー受賞 3回・ノミネート 6回。
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1938年7月4日 | 2020年3月30日 | 81 | 男性歌手 | R&B | us |
イングランドの世界的音楽プロデューサー。アニマルズ、ハーマンズ・ハーミッツ、ジェフ・ベック・グループ、ドノヴァン、スージー・クアトロらを手掛け、1964年、アニマルズ「朝日のあたる家」(3週連続全米1位) が世界中で大ヒットしグラミー受賞。1967年、ルル「To Sir With Love」5週連続全米1位。ピーター・グラントとプロダクションを設立。後にグラントはレッド・ツェッペリンの有名マネージャーとなった。モストは莫大な財産を築き「英国富豪トップ500」にリストされた。
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1938年6月20日 | 2003年5月30日 | 64 | プロデュース | ロック | eg |
ハービー・フラワーズ
Herbie Flowers |
1938年5月19日 | 2024年9月5日 | 86 | ベース | ロック | us |
アメリカの著名なジャズ・トランペット奏者。1958年、20歳でニューヨークに移り、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ソニー・ロリンズ、スライド・ハンプトン、エリック・ドルフィー、J.J.ジョンソン、クインシー・ジョーンズなど最高のプレイヤーと演奏。1960年にブルーノート・レコードとの契約し、デビュー・アルバム『Open Sesame』をリリースした。オーネット・コールマン『Free Jazz』(1961)、ジョン・コルトレーン『Olé Coltrane』(1961)、ハービー・ハンコック『Maiden Voyage』(1965) などに参加。リーダー作『First Light』(1972) グラミー賞を受賞した。1976年には、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスらとV.S.O.P.クインテットを結成した。ビリー・ジョエル「Zanzibar」(1978) でも演奏を聴くことができる。 グラミー受賞 1回・ノミネート 5回 |
1938年4月7日 | 2008年12月29日 | 70 | トランペット | ジャズ | us |
ドイツのベーシスト、音楽プロデューサー、画家。スタジオ・ミュージシャンとしてB.B.キング、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、カーリー・サイモン、ルー・リード、ハリー・ニルソン、ランディ・ニューマンらのレコーディングに参加。ビートルズ『Revolver』のアートワークでグラミー賞受賞。ポール・マッカートニーの代わりにフォアマンを加え、ビートルズ再結成の噂があった。 グラミー受賞 2回・ノミネート 3回(2024年時点)
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1938年4月29日 | 1938年4月29日 | ベース | ロック | de |
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スティーヴ・キューン
Steve Kuhn アメリカのジャズ・ピアニスト、作曲家、編曲家。幼い頃からクラシック音楽の即興演奏を始め、10代の頃にはチェット・ベイカー、コールマン・ホーキンスらと共演。ハーバード大学卒業後、レノックス音楽学校に入学し、オーネット・コールマン、ドン・チェリー、ゲイリー・マクファーランドらと交流。長期間にわたりケニー・ドーハムのグループに参加した。
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1938年3月24日 | 1938年3月24日 | ピアノ | ジャズ | us |
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デイヴ・パイク
Dave Pike アメリカのヴィブラフォン、マリンバ奏者。ヴィブラフォンは独学で1958年にポール・ブレイ・カルテットでレコーディング・デビュー。ケニー・クラーク、ビル・エヴァンス、ハービー・マンなど多数のレコーディングに参加し、ボビー・ハッチャーソンにヴィブラフォンを手ほどきした。1960年代後半頃にヨーロッパへ移り、ドイツのMPSレコードでレコーディングした。 グラミー受賞 回・ノミネート 回(2024年時点) |
1938年3月23日 | 2015年10月3日 | 77 | ヴィブラフォン | ジャズ | us |
チャーリー・ロイド
Charles Lloyd
アメリカのジャズ・サックス奏者。1940年代にチャーリー・パーカー、コールマン・ホーキンス、オスカー・ピーターソン、ビリー・ホリデイ、デューク・エリントンに魅了され、10代でハウリン・ウルフ、B.B.キングらのサイドマンを務めた。ビーチ・ボーイズのサポートミュージシャンとして著名で『Warm Waters』(1971) にメンバーが参加した。
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1938年3月15日 | 1938年3月15日 | サックス | ジャズ | us |
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アーマ・フランクリン
Erma Franklin
アメリカのゴスペル歌手。アレサ・フランクリン、キャロリン・フランクリンの姉。名曲「Piece of My Heart」(1967) 全米62位・R&B10位のオリジナル・シンガーで、グラミー賞「新人賞」にノミネート。この曲はジャニス・ジョプリンを擁したビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーがカバーし全米12位を獲得した。 グラミー賞ノミネート 1回 |
1938年3月13日 | 2002年9月7日 | 64 | 女性歌手 | ゴスペル | us |
ジミー・ヒューズ
Jimmy Hughes アメリカのR&Bシンガー。1964年「Steal Away」全米17位を記録しマッスル・ショールズ音楽産業の発展に貢献した。1968年スタックス・レコードに移籍し、サム・クック、ジャッキー・ウィルソン、ボビー・ウーマックなどとツアーを行った。
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1938年2月3日 | 1938年2月3日 | 男性歌手 | R&B | us |
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1938年1月25日 | 2012年1月20日 | 73 | 女性歌手 | ブルース | us |
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アメリカのイージーリスニングの歌手、俳優。1960–1970年代に大人気を博し、 全米【TOP 100】20曲【イージーリスニング】19曲を送り込んだ。
グラミー受賞 2回・ノミネート 5回(2024年時点) 代表曲
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1938年1月14日 | 1938年1月14日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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デヴィッド・アレン
Daevid Allen
オーストラリアの詩人、ギタリスト、歌手、作曲家。サイケデリックロック・バンドのソフト・マシーンとゴングの創設メンバーのひとり。
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1938年1月13日 | 2015年3月13日 | 男性歌手 | ロック | au |
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ジョー・ファレル
Joe Farrell アメリカのジャズのテナー・サックス奏者。チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーのメンバーとして活動した。1960年代にサド・ジョーンズ/メル・ルイス・ジャズ・オーケストラに参加し、チャールズ・ミンガス、アンドリュー・ヒル、ジャッキー・バイアード、エルヴィン・ジョーンズらと共演。2008年、娘のキャサリーン・フィランテッロはジョー・ファレル「Upon This Rock」を無許可で使用したカニエ・ウェスト、メソッド・マン、レッドマン、コモンを提訴した。
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1937年12月16日 | 1986年1月10日 | 48 | サックス | ジャズ | us |
ミウシャ
Miúcha ブラジルの女性歌手・作曲家。ボサノヴァの創始者ジョアン・ジルベルトの2番目の妻。ジョアンとスタン・ゲッツと組んだ名盤『The Best Of Two Worlds』(1976 Columbia) でプロデビュー。娘は歌手のベベウ・ジルベルト。シコ・ブアルキは弟。
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1937年11月30日 | 2018年12月27日 | 81 | 女性歌手 | ボサノヴァ | br |
ボブ・バビット ★
Bob Babbitt アメリカの著名なベーシスト。ジェームス・ジェマーソン (1936–1983, 47)、マイケル・ヘンダーソン (1951–2022, 71) とともにモータウンを代表するベーシストで、1966年から1972年までモータウンのスタジオバンド「ファンク・ブラザーズ」のメンバーとして活動し、フランク・シナトラ、バリー・マニロウ、グラディス・ナイト、スティーヴィー・ワンダー、スモーキー・ロビンソン、マーヴィン・ゲイ、テンプテーションズ、ジミ・ヘンドリックスらのレコーディングに参加した。『Bass Player』誌「偉大なベーシスト100人」59位。
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1937年11月26日 | 2012年7月16日 | 74 | ベース | R&B | us |
ジェフ・ゴダード
Geoff Goddard |
1937年11月19日 | 2000年5月15日 | 62 | 作曲家 | ポップ | us |
グレアム・ボンド
Graham Bond イングランドのロック/ブルースシンガー。1960年代のイングランドにR&Bブームをもたらした。Alexis Korner's Blues Incorporated を経て、1963年にジンジャー・ベイカー (Dr)、ジャック・ブルース (B)、ジョン・マクラフリン (G) と The Graham Bond Quartet を結成し、ハモンドオルガンをメイン楽器として採用。その後、The Graham Bond Organisation となった。商業的成功に恵まれず、失意のうちに電車にはねられ36歳で他界した。
See Also
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1937年10月28日 | 1974年5月8日 | 36 | 男性歌手 | ロック | eg |
ビフ・ローズ
Biff Rose |
1937年10月15日 | 2023年7月25日 | 85 | 男性歌手 | ポップ | us |
レオン・トーマス
Leon Thomas |
1937年10月4日 | 1999年5月8日 | 61 | 男性歌手 | ジャズ | us |
アリス・コルトレーン
Alice Coltrane
アメリカのジャズ・ハープ奏者、ピアニスト、作曲家。音楽一家に育ち、パリでクラシック音楽を学び、バド・パウエルにジャズ・ピアノを師事。いくつかのバンドを経て、1965年メキシコでジョン・コルトレーンと再婚。1966年、マッコイ・タイナーに代わってジョンが他界する1967年までジョン・コルトレーンのピアニストとなった。
生前ジョンがアリスのために注文したハープが届けられ、以後、主にジャズ・ハープ奏者として活動。1968年、ジョン・コルトレーン・ホームで1stアルバム『A Monastic Trio』を録音。ジョンの死後、よりヒンドゥー教に傾倒し、サウンドはスピリチュアル色が亢進した。1971年、カーネギー・ホールのチャリティ・コンサートに出演(メンバー:ファラオ・サンダース、アーチー・シェップ、ジミー・ギャリソン、セシル・マクビー、エド・ブラックウェル)し、ビルボード誌で「カーネギー・ホールのステージに登場した最も偉大なバンドの一つ」と評され、この模様は2024年『The Carnegie Hall Concer』としてリリースされた。1974年、カルロス・サンタナとアルバム『Illuminations』をリリース。2007年に他界する直前まで演奏を行った。 前夫ケニー・ハグッドとの間に娘ミシェル・コルトレーン(歌手)、ジョン・コルトレーンとの間にジョン・コルトレーン・ジュニア(ドラマー)、ラヴィ(サックス奏者)、オラン (DJ) を授かった。妹のマリリン・マクロードはモータウンのソングライターとしてダイアナ・ロスらの楽曲を手掛けた。 See Also
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1937年8月27日 | 2007年1月12日 | 69 | ハープ | ジャズ | us |
カナダ出身のキーボーディスト。ボブ・ディランのバックバンド「ザ・バンド」のメンバーで、キーボード、シンセサイザー、アコーディオン、サックスなどを担当し、サウンドに深みを与えた。幼い頃からクラシック音楽とオルガンを親しみ、大学では音楽理論と和声学を学んだ。ディランのライブ・アルバムでは嵐のようなオルガンのプレイを聴くことができる。ザ・バンド解散後、1stアルバム『Music for Our Lady Queen Of The Angels』(1980) リリース。マディ・ウォーターズ、吉田拓郎、佐野元春らのアルバムに参加した。
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1937年8月2日 | 2025年1月21日 | 87 | キーボード | ロック | ca |
エディ・フロイド
Eddie Floyd アメリカのR&B歌手・ソングライター。1965年、スタックス・レコードとソングライターとして契約。重要ギタリストのスティーヴ・クロッパーとチームを組み、ウィルソン・ピケット「Ninety-Nine and a Half (Won't Do)」(1966)「634-5789 (Soulsville, USA)」(1966) などヒットを生み出した。自身も「Knock On Wood」(1966) R&Bチャート1位、エイミー・スチュワートのカバーは全米1位を記録した。
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1937年6月25日 | 1937年6月25日 | 男性歌手 | R&B | us |
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1937年6月22日 | 1937年6月22日 | 実業家 | eg |
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アメリカのカントリー・シンガー、ソングライター。1958年、バディ・ホリーに声を掛けられレコーディングに初参加。1970年代にアウトローカントリーを牽引し、1976年にウィリー・ネルソン、トンポール・グレイザー、ジェシー・コルターらと共作した『Wanted! The Outlaws』が全米10位・カントリー1位を記録し、カントリーミュージック初のプラチナアルバム(100万枚)を獲得。1977年には『Ol' Waylon』が 全米15位・カントリー13週間1位を記録し、カントリー・ミュージックのソロアーティストとして初のプラチナアルバムとなった。
人気絶頂期を迎えたがカイン中毒に悩まされたが、1984年に克服。1985年、ジョニー・キャッシュ (1932–2003, 71)、ウィリー・ネルソン (1933– ) 、クリス・クリストファーソン (1936–2024 ,88) らと「ハイウェイマン」を結成。3枚のスタジオアルバムをリリースし、シングル「Highwayman」がカントリーチャート1位を獲得した。2001年、カントリーミュージックの殿堂入り。2002年2月13日、糖尿病の合併症により64歳で他界した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 13回(2024年時点) |
1937年6月15日 | 2002年2月13日 | 64 | 男性歌手 | カントリー | us |
アーチー・シェップ
Archie Shepp アメリカのフリージャズ・サックス奏者。セシル・テイラー、ジョン・コルトレーン、ホレス・パーラン、ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴ (New York Contemporary Five) などの共演でも知られている。コルトレーン『A Love Supreme』(1965) のセッションに参加したが当初発売されたアルバムにシェップのパートは含まれず、デラックス・エディション (2002) に収録された。コルトレーン『Ascension』(1966) に参加した。
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1937年5月24日 | 1937年5月24日 | サックス | ジャズ | us |
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ディック・デイル
Dick Dale |
1937年5月4日 | 2019年3月16日 | 81 | ギター | ロック | us |
アメリカの名ジャズ・ベーシスト、作曲家。1959年、チコ・ハミルトンのグループでデビュー。ポール・チェンバースの後任としてマイルス・デイヴィスのバンドに参加。脱退後はサイドマンとして膨大なレコーディングに参加した。 グラミー受賞 3回・ノミネート 6回(2024年時点) |
1937年5月4日 | 1937年5月4日 | ベース | ジャズ | us |
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レフティ・ディズ
Lefty Dizz シカゴのブルース・ギタリスト、歌手。ジミ・ヘンドリックスのように右利き用のストラトキャスターを左利きで演奏し芸名の由来となった。
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1937年4月29日 | 1993年9月7日 | 56 | ギター | ブルース | us |
ジョー・ヘンダーソン
Joe Henderson アメリカの著名ジャズ・テナーサックス奏者。1950年代、18歳でデトロイトのジャズシーンでキャリアを開始。退役後の1962年にニューヨークに移り、1963年から1968年にかけて約30枚のアルバムをブルーノートで録音した。1967年に短期間マイルス・デイヴィス・クインテット(ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、トニー・ウィリアムス)に参加。
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1937年4月24日 | 2001年6月30日 | 64 | サックス | ジャズ | us |
ウィンス・マーティンヴィンス・マーティン
Vince Martin アメリカのフォークシンガー・ソングライター。1960年代初頭に「フレッド・ニール & ヴィンス・マーティン」のデュオで知られるようになった。フェリックス・パパラルディらとレコーディングし、成長しつつあったフォーク(後にフォークロック)シーンで人気を博し影響力を及ぼした。
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1937年3月17日 | 2018年7月6日 | 81 | 男性歌手 | フォーク | us |
バルネ・ウィラン
Barney Wilen フランスのジャズサックス奏者、作曲家。マイルス・デイヴィスとの『死刑台のエレベーター』(1958) の演奏で知られるようになった。ケニー・クラーク、セロニアス・モンク、チェット・ベイカーらと共演し、映画音楽の他リーダー作多数。1960年代半ばからロックに興味を持ちアルバムを録音。1990年代にはパンク・ロックのミュージシャンと仕事をした。
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1937年3月4日 | 1996年5月25日 | 59 | サックス | ジャズ | fr |
マジック・サム
Magic Sam |
1937年2月14日 | 1969年12月1日 | 32 | 男性歌手 | ブルース | us |
フィリップ・ウォーカー
Phillip Walker |
1937年2月11日 | 2010年7月22日 | 73 | 男性歌手 | ブルース | us |
アメリカの世界的シンガーソングライター。歴史的な名曲とダニー・ハサウェイらとのデュエットで知られている。ワード大学に史上最年少の15歳で入学し音楽を学んだ。ナイトクラブで演奏中、ジャズ・ピアニストのレス・マッキャンに見出され、1969年『First Take』でレコード・デビュー。2022年、闘病により引退した。
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1937年2月10日 | 2025年2月24日 | 88 | 女性歌手 | R&B | us |
アメリカの作曲家。フランスでナディア・ブーランジェに師事し、ラヴィ・シャンカルとともに働いた後、1976年、オペラ三部作のひとつ「Einstein On The Beach」(浜辺のアインシュタイン)を初演した。デヴィッド・ボウイの『Low』(1977)『Heroes』(1977) をオーケストラにした『Low Symphony』(1993)『Heroes Symphony』(1997) をリリース。数多くの映画音楽も手掛けた。
グラミー賞ノミネート 4回(2024年時点) |
1937年1月31日 | 1937年1月31日 | 作曲家 | 現代音楽 | us |
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スコット・イングリッシュ
Scott English
アメリカの作詞家、編曲家、音楽プロデューサー。1972年、リチャード・カーと「Brandy」を共作。1974年に「Mandy」タイトルされ、バリー・マニロウが歌い全米1位を獲得した。
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1937年1月10日 | 2018年11月16日 | 81 | 作詞家 | ロック | us |
英国ウェールズの歌手。世界売上1億4000万枚以上。1950年代より活動し全英シングル1位を獲得した初のウェールズ人、70年連続でアルバムが全英「TOP 40」入りした史上初の女性、映画『007』シリーズで複数のテーマ曲を歌った唯一の歌手。全英1位2曲、全英「TOP 40」27曲のヒットを放った。2000年、エリザベス女王2世より大英帝国勲章デイム・コマンダー受勲。
グラミー賞ノミネート 1回(2024年時点) Singles
007 テーマ曲
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1937年1月8日 | 1937年1月8日 | 女性歌手 | ポップ | wales |
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トミー・スティール
Tommy Steele |
1936年12月17日 | 1936年12月17日 | 男性歌手 | ロックンロール | eg |
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ニューヨーク出身のラテン・ジャズ、サルサのピアニスト。1971年、ハーレム・リヴァー・ドライヴ結成。1975年『The Sun Of Latin Music』、2000年『Masterpiece』、2006年『Listen Here!』でグラミー受賞。1997年に参加した『Nuyorican Soul』も人気を博した。
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1936年12月15日 | 1936年12月15日 | ピアノ | ラテン | us |
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ドン・チェリー
Don Cherry アメリカのジャズ・トランペット奏者。1958年、オーネット・コールマン『Something Else!!!!』でデビュー。ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズ、アルバート・アイラー、カーラ・ブレイ、チャーリー・ヘイデン、ガトー・バルビエリ、ファラオ・サンダースとも共演した。ネナ・チェリーは養女、イーグル・アイ・チェリーは実子。
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1936年11月18日 | 1995年10月19日 | 58 | トランペット | ジャズ | us |
アメリカのソングライター、ピアニスト、歌手。エルヴィス・プレスリー『Viva Las Vegas』(1964) をドク・ポーマスと共作し世界中でヒット。他にもアンディ・ウィリアムス、ボビー・ダーリン、ディオンらに提供した楽曲がヒットした。ブリティッシュ・インヴェイジョンが席巻してからはロンドンへ移住し、スモール・フェイセス「Sha-La-La-La-Lee」(1966・全英3位)、ホリーズ「Here I Go Again」(1964)などを書いた。映画音楽やミュージカルも手掛けた。1992年ソングライターの殿堂入り。
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1936年11月12日 | 1991年11月2日 | 54 | 作曲家 | ロックンロール | us |
ジミー・ドーキンス
Jimmy Dawkins |
1936年10月24日 | 2013年4月10日 | 76 | ギター | ブルース | us |
イングランドのロック・ベーシスト。1962年からローリング・ストーンズのベーシストを務めたが、ミック・ジャガーとキース・リチャーズの衝突に辟易し、1993年に脱退した。ローリングストーンズは後任としてマイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコック、スティング、ブルース・スプリングスティーン、マドンナらと共演したダリル・ジョーンズをサポート・メンバーとして迎えた。 グラミー賞ノミネート 6回(2024年時点) |
1936年10月24日 | 1936年10月24日 | ベース | ロック | eg |
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トン・ゼー
Tom Zé ブラジルのシンガーソングライター、マルチ楽器奏者、作曲家。1960年代、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルとトロピカリア運動(ロック、ソウルを取り込んだ音楽、ブラジル軍事政権に反発)を牽引したが、1960年代後半に運動が下火になると忘れ去られた。1990年代にトーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンがトン・ゼー『Estudando o Samba』(1975) を再発したことで活動を再開した。
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1936年10月11日 | 1936年10月11日 | 男性歌手 | ポップ | br |
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ビリー・ヒギンズ
Billy Higgins アメリカのジャズ・ドラマー。1958年、オーネット・コールマンのバンドに加入。セッション・ドラマーとしてドナルド・バード、デクスター・ゴードン、ジョン・コルトレーン、ジョー・ヘンダーソン、ミルト・ジャクソン、ジャッキー・マクリーン、パット・メセニー、ハンク・モブレー、セロニアス・モンク、リー・モーガン、デヴィッド・マレイ、アート・ペッパー、ソニー・ロリンズ、マル・ウォルドロン、シダー・ウォルトン、ロン・カーターらと共演。。
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1936年10月11日 | 2001年5月3日 | <64/td> | ドラム | ジャズ | us |
1936年10月3日 | 1936年10月3日 | 女男性歌手 | ポップ | us |
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アメリカの伝説的なシンガーソングライター。ザ・クリケッツ (The Crickets) のフロントマンで、ビートルズをはじめ後世のロック・ミュージシャンに大きな影響を与えた。1986年ロックの殿堂入り。
1957年、ザ・クリケッツを結成し、同年「That'll Be The Day」(Brunswick) が全米3位を獲得。1969年にゴールド(米国売上100万枚以上)に認定され、1998年にはグラミー賞の殿堂入りを果たした。1958年7月12日、クオリーメン(ビートルズの前身)は初レコーディングを行い、A面に「That'll Be The Day」、B面に「In Spite Of All The Danger」(ポール・マッカートニー作)を収録した。 1959年2月3日、飛行機事故で同乗していたビッグ・ボッパー、リッチー・ヴァレンス、パイロットと共に17歳で他界。一度に3人のロックンローラーが死んだことで、後にドン・マクリーン『American Pie』のフレーズにちなみ「音楽が死んだ日」と呼ばれるようになった。 バディ・ホリーの後任としてアール・シンクス (Vo) がクリケッツに加入。シンクス脱退後、デヴィッド・ボックス (Vo) が加入したが1960年に脱退。1964年、ボックスはソロ歌手としてツアー中、チャーター機の墜落事故により21歳で他界した。バンドはオリジナル・メンバーがいなくなった後も、メンバーチェンジを繰り返しながら2016年まで続いた。 |
1936年9月7日 | 1959年2月3日 | 22 | 男性歌手 | ロック | us |
チャック・ブラウン
Chuck Brown アメリカのギタリスト、バンドリーダー、歌手。ラテン・パーカションを多用し、同じビートを延々と持続する音楽ジャンル「ゴーゴー」を創造したことから「The Godfather Of Go-Go」として知られている。刑務所でギターを始め、The Soul Searchers を結成。2011年、ジル・スコット、マーカス・ミラーとの共演した「Love」でグラミー賞「最優秀R&Bパフォーマンス・デュオ・グループ」にノミネートされた。
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1936年8月22日 | 2012年5月16日 | 75 | ギター | ゴーゴー | us |
チャック・イスラエル
Chuck Israels アメリカのジャズ・ベーシスト。スコット・ラファロの後任としてビル・エヴァンス・トリオに加入。ビリー・ホリデイ、ベニー・グッドマン、コールマン・ホーキンス、スタン・ゲッツ、ハービー・ハンコック、J・J・ジョンソン、ジョン・コルトレーン、ジュディ・コリンズとも共演した。
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1936年8月10日 | 1936年8月10日 | ベース | ジャズ | us |
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アメリカ合衆国ルイジアナ州レッツワース出身のブルース・ギタリスト、シンガー。ローリング・ストーン誌「偉大なギタリスト」2003年30位、2011年23位。1958年にデビューし、シカゴ・ブルースで最も成功したミュージシャンのひとり。2005年ロックの殿堂入り。
娘は女性ラッパーのショウナ。 グラミー受賞 8回・ノミネート 15回(2024年時点) |
1936年7月30日 | 1936年7月30日 | 男性歌手 | ブルース | us |
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アメリカの前衛ジャズ・サックス奏者、歌手、作曲家。1966年、ジョン・コルトレーンの勧めでインパルス・レコードと契約したものの、十分な聴衆を得ることはなかった。コルトレーンの願いは、葬儀でアイラーとオーネット・コールマンに演奏してもらうことだった。1967年7月21日、ニューヨーク St. Peter's Lutheran Church で執り行われたコルトレーンの葬儀でアイラーは「Love Cry, Truth Is Marching In, Our Prayer」を演奏し、オーネット・コールマンの「Naima」で幕が閉じられた。アイラーは1970年11月5日に失踪し、 11月25日にニューヨーク市のイーストリバーで自殺とみられる遺体で発見された。
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1936年7月13日 | 1970年11月25日 | 34 | サックス | ジャズ | us |
アメリカの大物音楽プロデューサー、ヴァーヴ・ミュージック・グループ会長。1968年にボブ・クラズノーが設立したブルー・サム・レコードに参画。マイルス・デイヴィス、ポール・マッカートニー、イエロージャケッツ、ジョージ・ベンソン、ダイアナ・クラールなど数多の名盤プロデュースした。 グラミー受賞 5回・ノミネート6 回 |
1936年7月5日 | 2017年3月13日 | 80 | プロデュース | ジャズ | us |
デイブ・ヴァン・ロンク
Dave Van Ronk |
1936年6月30日 | 2002年2月10日 | 65 | 男性歌手 | フォーク | us |
ブラジルの作曲家、マルチ楽器演奏者。ブラジル音楽の最重要人物の一人で革新的な作曲家として知られている。
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1936年6月22日 | 1936年6月22日 | 作曲家 | MPB | br |
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アメリカ合衆国テキサス州ブラウンズビル出身のカントリー音楽の世界的シンガーソングライター、俳優。バーブラ・ストライサンドと主演した映画『スター誕生』(1976) でゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。
グラミー受賞 3回・ノミネート 13回
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1936年6月22日 | 2024年9月28日 | 88 | 男性歌手 | カントリー | us |
クレイ・ハモンド
Clay Hammond |
1936年6月21日 | 2011年2月4日 | 74 | 男性歌手 | R&B | us |
ブラジルの女性歌手、女優。1956年、アルバム『Convite para Ouvir Maysa』でデビュー。南米ツアーを大成功させたが、ナラ・レオンの恋人で人気プロデューサーのホナルド・ボスコリ (Ronaldo Bôscoli) と不倫関係となった。名家出身のマイーザは、夫も子供もいたことから人気は急落した。その後ヨーロッパで成功を収め、ブラジルに帰国してからは人気が回復。1970年代にはテレビドラマに出演。波乱に満ちた私生活から「ボサノヴァ界のジャニス・ジョプリン」と呼ばれるようになった。1977年、自動車事故に遭い40歳で他界した。なお、ホナルド・ボスコリは1970年にエリス・レジーナとの間に長男をもうけた。
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1936年6月6日 | 1977年1月22日 | 40 | 女性歌手 | ボサノヴァ | br |
アメリカの世界的歌手、作曲家、俳優。恋人だったコニー・フランシスの作曲家としてキャリアをスタートし、全米「TOP 100」40曲、「TOP 10」10曲、「No.1」1曲のヒット曲を放った。友人のエルヴィス・プレスリーは、ダーリンのコンサートに忍び込み観覧していた。俳優としてさまざまな映画に出演し、黒人としては初めてアカデミー主演男優賞を受賞したシドニー・ポワチエ、スティーヴ・マックイーン、グレゴリー・ペックといったハリウッドのトップスターたちと共演した。ニール・ヤング「ボビー・ダーリンはスタイルをコロコロ変えたので、以前は腹が立っていた。でも今見ると、彼は本当に天才だったと思う」
グラミー受賞 2回・ノミネート 5回
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1936年5月14日 | 1973年12月20日 | 37 | 男性歌手 | ポップ | us |
アメリカの著名な女性ジャズピアニスト、作曲家。前衛的なアプローチで知られ、アート・ファーマー「Sing Me Softly Of The Blues」(1965)、ゲイリー・バートン『A Genuine Tong Funeral』(1968) の全曲、チャーリー・ヘイデン『Liberation Music Orchestra』(1970) 収録3曲を提供し、一躍ジャズ界を代表する作曲家のひとりとなった。1971年、詩人ポール・ヘインズと共作した実験的な3枚組ジャズ・オペラ『Escalator Over The Hill』はジャズ界に物議をかもした。名ベーシスト、スティーヴ・スワロウとの共演多数。1975年、ザ・ジャック・ブルース・バンドのツアーに参加し、ニック・メイスン(ピンク・フロイドの 1stアルバム『Nick Mason's Fictitious Sports』(1981) に全曲を提供。
1957年、ポール・ブレイと結婚。1965年、マイケル・マントラーと再婚し(1991年離婚)1966年にカレン・マントラーを授かった。 グラミー賞ノミネート 3回 |
1936年5月11日 | 2023年10月17日 | 87 | ピアノ | ジャズ | us |
トニー・バーロウ
Tony Barrow イングランドの音楽マネージャー。デッカでライナーノートを書く仕事をしていたところ、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインに引き抜かれ、1962年から1968年までエプスタインのネムズ・エンタープライズ初のロンドン支社の責任者・広報部の主任としてビートルズの広報担当となった。ビートルズのデビューから世界制覇、最大のコンサート、日本公演、ビートルズ排斥運動など、数々の歴史的場面に立ち会った。
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1936年5月11日 | 2016年5月14日 | 80 | マネージ | ロック | eg |
アメリカの世界的シンガーソングライター。「Oh, Pretty Woman」が世界各国で1位を獲得し、洗練された歌唱とロカビリー調の楽曲で1960年代に大人気を博した。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」第13位、「偉大な100組のアーティスト」第37位。
グラミー受賞 5回・ノミネート 9回
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1936年4月23日 | 1988年12月6日 | 52 | 男性歌手 | ポップ | us |
アメリカの人気カントリー歌手、ギタリスト、テレビ司会者、俳優。1960–1970年代に多くのヒット曲を生み出し、人気バラエティ番組『The Glen Campbell Goodtime Hour』の司会で知られる。50年のキャリアでアルバム70枚以上、レコード売上4,500万枚。80曲がビルボードにランクイン、29曲トップ10、9曲1位。スタジオ・ミュージシャン集団レッキング・クルーに加入し、フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリーなどビッグネームのレコーディングに参加。1964年からしばらくブライアン・ウィルソンの代役としてビーチ・ボーイズのツアーに参加し『ペット・サウンズ』などのレコーディングにギターで参加した。1967年「ジェントル・オン・マイ・マインド」「恋はフェニックス」でグラミー賞を獲得。1975年には「Rhinestone Cowboy」が200万枚を売り上げ、以後も精力的に活動した。グラミーの殿堂入り3曲、グラミー生涯功労賞を受賞。
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1936年4月22日 | 2017年8月8日 | 81 | 男性歌手 | カントリー | us |
アメリカの伝説的なジャズ・ベーシスト。ビル・エヴァンス・トリオの黄金期をポール・モチアン (Dr 1931–2011) と支え『Portrait in Jazz』(1959)、『Explorations』(1961)、1961年6月25日にヴィレッジ・ヴァンガードで収録した『Sunday At The Village Vanguard』『Waltz for Debby』で歴史的な名演を残した。「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」でスタン・ゲッツと共演した2日後、交通事故で夭折。エヴァンスのショックはあまりにもひどく、数カ月間演奏できなかったという。1966年、21歳のチャック・イスラエルを後任に迎えた。
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1936年4月3日 | 1961年7月6日 | 25 | ベース | ジャズ | us |
ベティ・クルティス
Betty Curtis |
1936年3月21日 | 2006年6月15日 | 70 | 女性歌手 | ポップ | it |
ジャマイカのレゲエの音楽プロデューサー、エンジニア。1973年、自宅の裏庭にブラック・アーク・スタジオを建設し、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ、ジュニア・バイルズ、ヘプトーンズ、マックス・ロメオといった有名なミュージシャンのプロデュースを行った。
グラミー受賞 1回・ノミネート 5回(2024年時点) |
1936年3月20日 | 2021年8月29日 | 85 | プロデュース | レゲエ | jm |
フレッド・ニール
Fred Neil アメリカのフォークのシンガーソングライター。1960年代初頭に「フレッド・ニール & ヴィンス・マーティン」のデュオで知られるようになった。1966年「Everybody's Talkin'」を作詞作曲。ハリー・ニルソンが歌い映画『真夜中のカーボーイ』(1969)で使用され全米6位、ニルソンはグラミー賞を受賞した。現代のフォークシンガーから高評価だがツアーには消極的で、人生の最後の30年間のほとんどをイルカの保護活動に費やした。マネージャーを務めたハワード・ソロモン (Howard Solomon) は、 ニューヨークのグリニッチビレッジにあった有名ナイトクラブ「カフェ・オー・ゴーゴー」の元オーナー。
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1936年3月16日 | 2001年7月7日 | 65 | 男性歌手 | フォーク | us |
ガボール・ザボ
Gábor Szabó
ハンガリー出身のジャズ・ギタリスト。カルロス・サンタナが絶大な影響を受けたことで知られている。ジョン・レジェンドが「Save Room」(2005) で「Stormy」(1969) をサンプリングした。
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1936年3月8日 | 1982年2月26日 | 45 | ギター | ジャズ | hr |
ジョン・レイトン
John Leyton |
1936年2月17日 | 1936年2月17日 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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ホルスト・ヤンコフスキー
Horst Jankowski |
1936年1月30日 | 1998年6月29日 | 62 | ピアノ | イージー | de |
アメリカの天才ベーシスト。1960–1970年代のモータウン・レコード黄金期にマーヴィン・ゲイ「What's Going On」などでプレイ。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト」2020年1位。ジャコ・パストリアスなど様々なジャンルのベーシストに影響を与えた。
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1936年1月29日 | 1983年8月2日 | 47 | ベース | ポップ | us |
エスター・フィリップス
Esther Phillips |
1935年12月23日 | 1984年8月7日 | 48 | 女性歌手 | R&B | us |
ボビー・ティモンズ
Bobby Timmons |
1935年12月19日 | 1974年3月1日 | 38 | ピアノ | ジャズ | us |
アル・ジャクソンJr.
Al Jackson Jr. テネシー州メンフィス出身の名ドラマー、音楽プロデューサー、ソングライター。スタックス・レコード専属スタジオ・バンド「ブッカー・T&ザ・MG's」を結成し、オーティス・レディング、ジョニー・テイラー、ウィルソン・ピケット、サム&デイヴらの演奏を担当。1970年代には、エルヴィス・プレスリー、ビル・ウィザース、レオン・ラッセル、ジェリー・リー・ルイス、エリック・クラプトン、アレサ・フランクリン、ロッド・スチュワート、ダニー・ハサウェイなどのセッション・ドラマーとしても活躍した。1975年7月、離婚を申請中の妻に銃で胸を撃たれたが告訴しないことにした。10月1日、自宅で暴漢に撃たれ他界。39歳没。後日、犯人は別件で警察官に射殺された。
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1935年11月27日 | 1975年10月1日 | 39 | ドラム | R&B | us |
エスケリータ
Esquerita
アメリカのロックンロール・シンガー、ソングライター、ピアニスト。派手なルックスでリトル・リチャードに影響を与えたロックンロールの先駆者。ジーン・ヴィンセントのバックバンド「ブルーキャップス」のポール・ピークと共作したことからキャピトル・レコードと契約し、1959年にデビュー・アルバム『Esquerita!』をリリース。1970年、リトル・リチャードに「Dew Drop Inn」と「Freedom Blues」を提供した。
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1935年11月20日 | 1986年10月23日 | 50 | 男性歌手 | ロック | us |
ルチアーノ・パヴァロッティ
Luciano Pavarotti |
1935年10月12日 | 2007年9月6日 | 71 | 男性歌手 | オペラ | it |
ジュリー・アンドリュース
Julie Andrews |
1935年10月1日 | 1935年10月1日 | 女性歌手 | ポップ | eg |
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アメリカの世界的ポピュラー音楽歌手。20世紀で最も売れたアーティストの一人。「Wonderful! Wonderful!」(1956) が大ヒット。代表曲は「Chances Are」(1957)「Misty」(1959) 全米12位、デニース・ウィリアムスとの「Too Much,Too Little,Too Late」(1978) 全米1位・R&B1位・AC1位、ディオンヌ・ワーウィックとの「Friends in Love」(1982) 全米38位、レイ・チャールズとの「Over The Rainbow」(2004) など。
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1935年9月30日 | 1935年9月30日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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アメリカのロックンロール、ロカビリー、カントリー・ミュージックのシンガーソングライター、ピアニスト。ローリング・ストーン誌「史上最高の500曲」96位、「偉大な100組のアーティスト」2004年24位、「偉大な100人のシンガー」67位。「Great Balls of Fire」(1957) 全米2位。2000年代になってもアルバム『Last Man Standing』が全米26位・カントリー4位を記録し長期にわたって人気を博した。1956年、エルヴィス・プレスリー、カール・パーキンス、ジョニー・キャッシュと一回限りのミリオン・ダラー・カルテットを結成し、即興ジャム・セッションを行った。ライヴでピアノに火をつけたエピソードが有名だが本人は否定。 グラミー受賞 1回・ノミネート 3回 |
1935年9月29日 | 2022年10月28日 | 男性歌手 | ロック | us |
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レス・マッキャン
Les McCann アメリカのジャズ・ピアニスト。1969年、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルでのライブを収録したアルバム『Swiss Movement』ビルボード・ジャズアルバム1位・R&Bチャート2位・グラミー賞2部門ノミネート。ロバータ・フラックを発掘し彼女の1stアルバム『First Take』(1969) などに参加した。
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1935年9月23日 | 2023年12月29日 | 88 | ピアノ | ジャズ | us |
1935年9月1日 | 2024年2月6日 | 88 | 指揮者 | クラシック | ||
ローランド・カーク
Rahsaan Roland Kirk |
1935年8月7日 | 1977年12月5日 | 42 | サックス | ジャズ | us |
アメリカの歌手、コメディアン、俳優。妻イーディ・ゴーメとのポップデュオ「スティーブ&アイディー」や映画『ブルース・ブラザース』(1980) でモーリー・スライン役を演じたことで知られている。1950年代後半から1960年代前半にかけて、ミュージカルのヒットパレードで成功を収め、「Party Doll」(全米5位)「Pretty Blue Eyes」(全米9位)「Footsteps」(全米7位)「Portrait of My Love」(全米9位)「Go Away Little Girl」(全米1位)などが大ヒット曲。2009年にイーディが引退するまでデュオとして活動を続けた。 グラミー受賞 1回・ノミネート 2回 |
1935年7月8日 | 2024年3月7日 | 88 | 男性歌手 | ポップ | us |
テリー・ライリー
Terry Riley アメリカの作曲家。スティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスらと並ぶミニマル・ミュージックの代表的な作曲家の1人。2020年から日本在住。英国のロック・バンド、カーヴド・エアのバンド名の由来となった「A Rainbow In Curved Air」(1969) は、ピート・タウンゼントに影響を与えザ・フー「Won't Get Fooled Again」(1971) と「Baba O'Riley」(1971) が誕生した。 グラミー賞ノミネート 1回(2024年時点) |
1935年6月24日 | 1935年6月24日 | 作曲家 | ミニマム | us |
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ペギー・シーガー
Peggy Seeger アメリカの女性シンガーソングライター。アメリカン・フォークの名門シーガー家に生まれ、父は民俗学者・音楽学者のチャールズ・シーガーでピート・シーガーは異母兄弟。「フォークの女王」ジョーン・バエズに多大な影響を与えた。
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1935年6月17日 | 1935年6月17日 | 女性歌手 | フォーク | us |
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1935年6月6日 | 1979年1月31日 | 43 | ギター | ジャズ | us |
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マル・エヴァンズ
Mal Evans |
1935年5月27日 | 1976年1月5日 | 40 | アシスタント | ロック | eg |
アメリカのジャズ・ピアニスト、作曲家。
グラミー受賞 3回・ノミネート 4回(2024年時点)
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1935年5月27日 | 2022年9月12日 | ピアノ | ジャズ | us |
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アメリカのジャズ・ベーシスト。1975年に自身のグループを結成して多数のリーダー・アルバムを録音。サイドマンとして著名で、マイルス・デイヴィス、アンドリュー・ヒル、サム・リヴァース、ジャッキー・マクリーン、ウェイン・ショーター、ファラオ・サンダース、チャールズ・ロイド、ユセフ・ラティーフ、フレディ・ハバード、ウディ・ショウ、キース・ジャレット、アリス・コルトレーンらとレコーディングを行なった。
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1935年5月19日 | 1935年5月19日 | ベース | ジャズ | us |
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テディ・ランダッツォ
Teddy Randazzo アメリカのシンガーソングライター、音楽プロデューサー。ボビー・ワインスタインと組み、「Goin' Out of My Head」(1964) 全米6位、「It's Gonna Take a Miracle」(1965) 全米41位(デニース・ウィリアムスのカバーは全米10位・R&B1位)、「Pretty Blue Eyes」(1959) 、「Hurt So Bad」(1964) などがヒット。フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、リンダ・ロンシュタットらがカバーした。女性グループのロイヤレッツをプロデュースした。
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1935年5月13日 | 2003年11月21日 | 68 | 男性歌手 | ポップ | us |
アメリカの名ジャズ・ベーシスト。1954年から2年の兵役中にベースをマスターし、除隊後はLAでアート・ペッパーらとの活動を経てNYでフリージャズに身を投じた。1977年にキース・ジャレット、ジャック・ディジョネットと結成したトリオは25年以上継続した。1990年、菊地雅章、ポール・モチアンと「Tethered Moon」結成。アネット・ピーコックは元妻。 グラミー賞ノミネート 4回 |
1935年5月12日 | 2020年9月4日 | 85 | ベース | ジャズ | us |
ラリー・ウィリアムズ
Larry Williams アメリカのR&Bのシンガーソングライター。1955年、リトル・リチャードと出会いレイ・チャールズのプロデューサー、ロバート・ブラックウェルを通じてスペシャルティ・レコードと契約。「Dizzy, Miss Lizzy」「Slow Down」「Slow Down」をビートルズがカバーした。
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1935年5月10日 | 1980年1月7日 | 44 | 男性歌手 | R&B | us |
アメリカ合衆国ミシシッピ州フィラデルフィア出身のブルース・シンガー、ギタリスト、ソングライター。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年53位。1950年代にシカゴでバディ・ガイ、マジック・サムらとともに新たなシカゴ・ブルースのサウンドを切り開いた。2006年にリリースされたライブ・アルバム『Live At Montreux 1986』が全米15位を記録した。 グラミー受賞 1回・ノミネート 4回 |
1935年4月29日 | 2018年9月29日 | 83 | 男性歌手 | ブルース | us |
ミルトン・バナナ
Milton Banana |
1935年4月23日 | 1999年5月22日 | 60 | ジャズ | ドラム | br |
アメリカの天才的ジャズ・ベーシスト。1950–1960年代の数々の名盤で知られている。20歳でマイルス・デイヴィスのバンドに加入した後、ウィントン・ケリー、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、バド・パウエル、キャノンボール・アダレイといったジャズ・ジャイアンツと共演。「Mr. P.C.」はコルトレーンがチェンバースへ捧げた曲。大量飲酒と麻薬の常習者で肺結核で夭逝。
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1935年4月22日 | 1969年1月4日 | 33 | ベース | ジャズ | us |
アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身の音楽プロデューサー。1964年 ジャック・ホルツマンのエレクトラでプロデューサーに就任し、ポール・バターフィールド、ドアーズ、ジャニス・ジョプリンらを手掛けた。
グラミー賞ノミネート 1回 プロデュース作品
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1935年4月18日 | 1995年3月30日 | 59 | プロデュース | ロック | us |
1935年4月16日 | 1935年4月16日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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イングランドの音楽マネージャー。レッド・ツェッペリンを世界的グループに育て上げたことで知られている。用心棒、プロレスラー、俳優を経て英国の大物プロモーター、ドン・アーデン (1926–2007) のアシスタントとなり、アメリカから渡英したジーン・ヴィンセント、チャック・ベリー、リトル・リチャード、エディ・コクランらのツアー・マネージャーを務めた。ミッキー・モストと共にプロダクションを設立し、ヤードバーズ、ジェフ・ベック・グループ、レッド・ツェッペリンのマネージャーとプロデューサーを務めた。レッド・ツェッペリンと「スワンソング・レコード」を設立。
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1935年4月5日 | 1995年11月21日 | 60 | 実業家 | ロック | eg |
アメリカのトランペット奏者。日本ではニッポン放送『オールナイトニッポン』のテーマ曲「Bittersweet Samba」(1965) が有名。1962年、ジェリー・モスとA&Mレコードを共同設立。「This Guy's In Love With You」(1968)「Rise」(1979) の2曲が全米1位。28枚のアルバムがビルボードTOP 200にチャートインし、5枚が全米1位を獲得。ボーカリストとしても全米1位を獲得した唯一のミュージシャン。レコードを売上推定7,200万枚。2006年、ロックの殿堂入り。2013年、オバマ大統領からアメリカ国家芸術勲章を授与。1959年、サム・クック、ルー・アドラーと「Wonderful World」全米12位・R&B2位を共作した。 グラミー受賞 8回・ノミネート 24回(2024年時点) |
1935年3月31日 | 1935年3月31日 | トランペット | ジャズ | us |
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サム・レイ
Sam Lay |
1935年3月20日 | 2022年1月29日 | 86 | ドラム | ブルース | us |
ソニー・ボノ
Sonny Bono アメリカのシンガーソングライター、俳優、政治家。スペシャルティ・レコードでソングライターとしてキャリアを開始し、サム・クック「Things You Do to Me」(1959) を書いた。フィル・スペクターのアシスタントを務めた後、1964年に2番目の妻シェールと「ソニー&シェール」結成し大人気を博した。 カリフォルニア州パームスプリングスの第16代市長 (1988–1992)、 カリフォルニア州第44選挙区の米国下院議員 (1995–1998) を務め、全米1位を獲得した唯一の議員。レッド・ホット・チリ・ペッパーズのアンソニー・キーディスの名付け親。スキー中に木にぶつかって負傷し他界した。 |
1935年2月16日 | 1998年1月5日 | 62 | 男性歌手 | ポップ | us |
アメリカのロカビリー・シンガー。ブルー・キャップスを率いて1950年代に人気を博し、後世のロック・ミュージシャンに影響を与えた。1956年、デビュー・シングルのB面「Be-Bop-A-Lula」(Capitol ) が全米7位を記録し、ビートルズらがライヴで演奏した。エディ・コクランやバディ・ホリーらと同様、ヨーロッパに拠点を移し、ロックンロールが全盛期だったイギリスで人気となり、若者のジョン・レノンやポール・マッカートニーらがコンサートに訪れ、セッション・ミュージシャン時代のリッチー・ブラックモアが「Catch Me a Rat」や「Crazy Beat」のライブなどでギターを演奏した。1960年4月16日、イギリスで交通事故に遭い、同乗していたエディ・コクランは翌日他界。ヴィンセントから影響を受けたビートルズやローリング・ストーンズらがシーンを席巻すると影を潜めていった。胃潰瘍のため36歳で他界。1998年ロックの殿堂入り。
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1935年2月11日 | 1971年10月12日 | 36 | 男性歌手 | ロック | us |
アメリカ出身のロックンロール、カントリーの歌手、俳優、司会者。40年以上にわたってカナダで活動し、同国のロック・シーンに多大な影響を与えた。
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1935年1月10日 | 2022年5月29日 | 87 | 男性歌手 | ロック | us |
1935年1月8日 | 1977年8月16日 | 42 | 男性歌手 | ロック | us |
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アメリカの歌手、シンガーソングライター。デビュー曲「Runaway」(1961) が全米1位を獲得し、1960年代にビルボード「TOP 100」17曲、「TOP 10」3曲を送り込んだ。低迷期を抜けて1980年代に再評価の動きがあったものの、1990年にうつ病のため猟銃自殺を遂げた。1988に他界したロイ・オービソンの後継としてトラヴェリング・ウィルベリーズする加入する予定だったという。
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1934年12月30日 | 1990年2月8日 | 55 | 男性歌手 | ロック | us |
1934年12月26日 | 1934年12月26日 | プロデュース | MPB | br |
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ジュニア・ウェルズ
Junior Wells アメリカ合衆国テネシー州メンフィス出身のブルースシンガー、ハーモニカ奏者。本名は、1950年代よりイリノイ州シカゴでバディ・ガイとのデュオで活動し、「ファンク・ブルース」の形成に寄与した。
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1934年12月9日 | 1998年1月15日 | 63 | 男性歌手 | ブルース | us |
ビリー・ポール
Billy Paul アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア出身のブルース・シンガー、ハーモニカ奏者。1952年、リトル・ウォルターの後任としてマディ・ウォーターズのバンドに加入。フィラデルフィア(フィリー)・ソウルを代表する一人で、1972年「Me and Mrs. Jones」3週間全米1位・売上200万枚。
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1934年12月1日 | 2016年4月24日 | 81 | 男性歌手 | ソウル | us |
バール・フィリップス
Barre Phillips |
1934年10月27日 | 1934年10月27日 | ベース | ジャズ | us |
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ジェイムズ・"シュガー・ボーイ"・クロフォード
James Sugar Boy Crawford アメリカのR&Bシンガー、ピアノ奏者。1954年「Iko Iko」をリリースし、1965年にディキシー・カップス、1972年にドクター・ジョンらがカバーした。
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1934年10月12日 | 2012年9月15日 | 77 | 男性歌手 | R&B | us |
ドイツ語圏で最も成功したオーストリアのポップ歌手の一人。1963年、エルヴィス・プレスリーのカバー「Kiss Me Quick」がドイツで3位。1972年に大ヒットしたペドロ&カプリシャス「別れの朝」のオリジナルは、ユルゲンスの「夕映えの二人」(原題:Was ich dir sagen will)。2014年、ドイツ音楽作家賞生涯功労賞を受賞。
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1934年9月30日 | 2014年12月21日 | 80 | 男性歌手 | ポップ | at |
フランスの女優、モデル、歌手。不倫関係だったセルジュ・ゲンスブールとのデュエット「Je T'Aime Moi Non Plus」が有名だが未公開だったため、先にジェーン・バーキンのデュエットがリリースされた。
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1934年9月28日 | 1934年9月28日 | 女性歌手 | ポップ | fr |
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ディック・ヘクストール=スミス
Dick Heckstall-Smith イングランドのジャズとブルースのサックス奏者。アレクシス・コーナーのブルース・インコーポレイテッドやジョン・メイオールのブルースブレイカーズ、1968年から1971年までコロシアムに参加。2001年、ジョン・メイオール、ジャック・ブルース、ミック・テイラー、ピーター・グリーンと Dick Heckstall-Smith & Friends『Blues and Beyond』を録音した。
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1934年9月26日 | 2004年12月17日 | 70 | サックス | ブルースロック | eg |
カナダの世界的シンガーソングライター、詩人、小説家。U2のボノが「世界で最も完璧な曲」と語った時代を超え魂に触れる名曲「Hallelujah」(ハレルヤ・1984年)の作者として有名。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2023年103位。1950年代から詩人・小説家としてキャリアをスタート。 1966年、コーエンが書いたジュディ・コリンズ「Suzanne」が大物プロデューサーのジョン・ハモンド の目に留まり、コロムビア・レコードと契約。1967年、33歳で1stアルバム『Songs of Leonard Cohen』をリリース。コーエンはアルバムの仕上がりに不満を残したものの全米83位・全英13位を記録し英国では1年半チャートインした。ジョニ・ミッチェルらとの恋多き男としても有名。1970年代に雑誌『an・an』でのインタビュー以来、個人的にコーエンと親しかった立川直樹氏によると、コーエンのお気に入りはビリー・ホリデイ、ニーナ・シモン、レイ・チャールズだという。 ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアなど、ミュージシャンにもフォロワーが多い。2008年から2014年までウェッブ・シスターズがバックシンガーを務めた。 グラミー受賞 2回・ノミネート 4回 |
1934年9月21日 | 2016年11月7日 | 82 | 男性歌手 | フォークロック | ca |
ビートルズを世界的成功へ導いたイングランドの伝説的なマネージャー。1961年、アラン・ウィリアムズに替わってビートルズの2代目マネージャーに就任。1962年、弟クライブとマネジメント会社NEMSエンタープライズを共同経営者。ビートルズのほかにビージーズなどとマネジメント契約を結んだ。1963年、音楽出版社ノーザン・ソングス設立。1985年、ノーザン・ソングスの親会社ATVを27歳のマイケル・ジャクソンが約4750万ドルで購入し、ビートルズの版権所有者となった。1967年、ビージーズをポリドール・レコードさせたが、同年8月27日にアスピリンの過剰摂取により32歳他界した。
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1934年9月19日 | 1967年8月27日 | 32 | マネージャー | ロック | eg |
ブラジル音楽の巨匠作曲家、ピアニスト。1956年、1stアルバム『Cha Dançante』(シャ・ダンサンチ)リリース。1959年に渡米しティト・プエンテらのバンドで曲を提供した。1963年、ジョアン・ジルベルト、セバスチャン・ネト、ミルトン・バナナらとイタリア・ツアー。ボサノヴァ・ブームが去った1970年、クロスオーバーの名盤『A Bad Donato』をリリースした。
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1934年8月17日 | 2023年7月17日 | 88 | 作曲家 | ボサノヴァ | br |
スティーヴ・レイシー
Steve Lacy アメリカのジャズ・サックス奏者。1955年、セシル・テイラー・カルテットに参加。1975年に来日し5枚のアルバムを録音した。
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1934年7月23日 | 2004年6月4日 | 69 | サックス | ジャズ | us |
アメリカのレーベル経営者、音楽ブロデューサー。カーマ・スートラ・レコードの副社長、ワーナーブラザーズ・レコード副社長、エレクトラ・レコード会長を歴任し、ブッダレコードやトミー・リピューマとブルーサム・レコードを設立した。
ジェームス・ブラウンのプロモーション担当やデッカの営業マンとしてキャリアをスタートし、アイク&ティナ・ターナー、キャプテン・ビーフハート、アニタ・ベイカー、チャカ・カーン、ジョージ・クリントン、ザ・キュアー、ビョーク、ジョージア・サテライト、トレイシー・チャップマン、リンダ・ロンシュタットのネルソン・リドル三部作、メタリカ、モトリー・クルー、ドッケン、10,000マニアックス、ディアンジェロ、エリカ・バドゥらを発掘・契約・プロデュースを行った。 1983年、アトランティック・レコード会長アーメット・アーティガンらと「ロックの殿堂」を共同設立。1992年、ナタリー・コール「Unforgettable … With Love」を手掛け、このアルバムはグラミー賞を6部門受賞した。 |
1934年7月20日 | 2016年12月11日 | 82 | 実業家 | us |
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ルネ・ユルトルジェ
René Urtreger フランスのジャズ・ピアニスト。1956年にオスカー・ピーターソンのヨーロッパツアーに同行。1957年12月、マイルス・デイヴィスと映画『絞首台のエレベーター』のサウンドトラックを録音した。1950年代後半はライオネル・ハンプトン、スタン・ゲッツ、チェット・ベイカー、デクスター・ゴードン、ソニー・ロリンズ、ベン・ウェブスターなどと共演した。
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1934年7月6日 | 1934年7月6日 | ピアノ | ジャズ | fr |
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934年6月26日 | 934年6月26日 | ピアノ | フュージョン | us |
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アメリカのR&Bシンガー。サム・クック、ジェームス・ブラウンと並び、ソウルのパイオニアの一人。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2013年26位。1953年、クライド・マクファターの後任としてビリー・ワード&ヒズ・ドミノズに加入。1956年、エルヴィス・プレスリーはラスベガスで4夜連続で彼らの演奏を聴き、ミリオン・ダラー・カルテットでウィルソンの歌唱を真似て「Don't Be Cruel」を収録した。ソロに転身し、1958年にモータウン・レコードを設立したベリー・ゴーディのプロデュースで「Lonely Teardrops」リリース。R&Bチャート1位を獲得した。
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1934年6月9日 | 1984年1月21日 | 49 | 男性歌手 | ソウル | us |
アメリカのセッション・ギタリスト。1950–1960年代のヒット曲でそのギタープレイを聴くことができる。ライブでは歯でギターを弾いた。バスで帰宅中、心臓発作で他界。
参加作品
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1934年6月9日 | 1996年2月3日 | 61 | ギター | R&B | us |
アメリカのポピュラー音楽の歌手。1950–1960年代にエルヴィス・プレスリーに次ぐ人気を博し、売上4,500万枚以上、38曲の全米TOP 40を記録。12本以上のハリウッド映画に出演した。先祖は西部開拓史上の英雄ダニエル・ブーン。 グラミー賞ノミネート6回 |
1934年6月1日 | 1934年6月1日 | 男性歌手 | ポップス | us |
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ピーター・ネロ
Peter Nero アメリカの指揮者、ピアニスト。17 歳でポール・ ホワイトマンのテレビ番組で「ラプソディ・イン・ブルー」を演奏しデビュー。1961年アルバム『Piano Forte』でグラミー賞受賞。2003年、ロッド・スチュワート『As Time Goes By: The Great American Songbook, Volume II』参加。
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1934年5月22日 | 2023年7月6日 | 89 | ピアノ | BGM | us |
ジョルジュ・ムスタキ
Georges Moustaki |
1934年5月3日 | 2013年5月23日 | 79 | 男性歌手 | シャンソン | us |
アメリカのポピュラー・シンガー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」80位。1960年に結成されたフォー・シーズンズのリード・ヴォーカルとして世界中を席巻し、「全米1位」5曲・「全米TOP 40」29曲、ソロとして「全米TOP 40」9曲がチャートインした。
グラミー賞ノミネート 5回(2024年時点) フォー・シーズンズ
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1934年5月3日 | 1934年5月3日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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イングランドの作詞家、作曲家、歌手。シャドウズの楽曲を支えたことで有名。「I've Waited So Long」(1959) 全英3位、「Apache」(1960) 全英1位・全米2位、クリフ・リチャード「A Girl Like You」(1961) 全英3位、シャドウズ「Wonderful Land」(1962) 8週間全英1位、ジェット・ハリスとトニー・ミーハン「Diamonds」(1963) 全英1位など作詞作曲。歌手としてジョージ・マーティンがプロデュースした「Who Could Be Bluer?」など60年に3曲がチャートインした。
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1934年4月30日 | 1995年7月24日 | 61 | 作曲家 | ポップ | eg |
アメリカの音楽プロデューサー、音楽出版社経営者、マネージャー、ソングライター。モンキーズなどのプロデュースで知られ「黄金の耳を持つ男」と呼ばれた。
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1934年4月17日 | 2011年1月17日 | 76 | プロデュース | ポップ | us |
1934年4月16日 | 2016年1月4日 | 81 | マネージャー | ロック | au |
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ウイクター・フェルドマンヴィクター・フェルドマン
Victor Feldman |
1934年4月7日 | 1987年5月12日 | 53 | ヴィブラフォン | ジャズ | eg |
スタンリー・タレンタイン
Stanley Turrentine アメリカのジャズ・テナーサックス奏者。マックス・ローチのバンド経て、1960年代にブルーノートでソウルジャズ、1970年代はCTIでジャズ・フュージョンを録音した。
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1934年4月5日 | 2000年9月12日 | 66 | サックス | ジャズ | us |
ジミー・ノーレン
Jimmy Nolen アメリカのギタリスト。1965年、ジェームス・ブラウンのバンドに加入。リードギタリストとして1983年に心臓発作で他界するまで活躍した。。ローリング・ストーン誌「偉大なギタリスト」2023年12位。
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1934年4月3日 | 1983年12月18日 | 49 | ギター | ファンク | us |
シャーリー・スコット
Shirley Scott アメリカのソウル・ジャズの女性オルガン奏者。2008年、ユニバーサル・スタジオの火災でマスター音源が喪失した。スタンリー・タレンタインは元夫。
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1934年3月14日 | 2002年3月10日 | 67 | オルガン | ジャズ | us |
ウィリー・ボボ
Willie Bobo アメリカのラテンジャズ・パーカッショニスト。1954年から1957年までティト・プエンテと共に師モンゴ・サンタマリアのバンド参加。その後、ジョージ・シアリング 、カル・ジェイダー・モダン・マンボ・クインテットに参加した。サンタナの1stアルバム『Santana』(1969) で話題になったクラレンス・ソニー・ヘンリー作曲「Evil Ways」は、1967年にボボが最初に録音した。
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1934年2月28日 | 1983年9月15日 | パーカッション | ジャズ | us |
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ジョージア出身の映画製作者、プロモーター、マネージャー、ソングライター、音楽プロデューサー。エルトン・ジョン、ロッド・スチュワート、ソフト・マシーン、10cc など後に世界的にバンドやミュージシャンの初期のキャリアに貢献した。
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1934年2月28日 | 2016年1月13日 | 81 | プロデュース | ロック | ge |
フランスのシンガーソングライター、俳優。1966年、名作『男と女』に出演。フランシス・レイ作曲のテーマ曲をニコール・クロワジールと歌い、フランスでボサノヴァを広めた。立川直樹プロデュースのもと『Le Pollen』(1982) と『Sierras』(1984) を録音。坂本龍一や高橋幸宏などが参加した。ブラジルの音楽家ヴィニシウス・ヂ・モライスからボサノヴァを教わった。
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1934年2月19日 | 2016年12月28日 | 82 | 男性歌手 | ボサノヴァ | fr |
アール・キング
Earl King アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身のブルースシンガー、ギタリスト、ソングライター。1954年「Things That I Used to Do」がR&Bチャート1位となったギター・スリムの替え玉となり、無事ツアーを切り抜けた。ジミ・ヘンドリックスが「Come On」をカバー。
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1934年2月7日 | 2003年4月17日 | 69 | 男性歌手 | ブルース | us |
アメリカのジャズ・サックス奏者、音楽プロデューサー。ザ・キングピンズを結成し、ジミー・ジェイムスこと無名時代のジミ・ヘンドリックス、コーネル・デュプリー、バーナード・パーディ (Dr)、ジェリー・ジェモット (B) などスーパー・ミュージシャンが在籍したことでも知られている。学生時代はオーネット・コールマンと共に音楽を学び、セッション・ミュージシャンとしてナット・アダレイ、ウィントン・ケリー、バディ・ホリー、アンディ・ウィリアムス、ウェイロン・ジェニングス 、アレサ・フランクリン、ジョン・レノンなどのレコーディングに参加した。
息子キング・カーティス・ジュニアは、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビリー・ジョエル、セリーヌ・ディオンなどのバックヴォーカル、セルジュ・ゲンズブール「You're Under Arrest」にラップで参加した。 グラミー受賞 1回・ノミネート 4回
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1934年2月7日 | 1971年8月13日 | 37 | サックス | ジャズ | us |
エヂソン・マシャード
Edison Machado |
1934年1月31日 | 1990年9月15日 | 56 | ドラム | ジャズ | br |
ヒューイ・ピアノ・スミス
Huey Piano Smith |
1934年1月26日 | 2023年2月13日 | 89 | ピアノ | R&B | us |
1934年1月17日 | 2013年8月19日 | 79 | ピアノ | ジャズ | us |
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南アフリカ出身のアメリカの世界的音楽プロデューサー。レコーディング・エンジニアとしてクインシー・ジョーンズ、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、フランク・シナトラ、バート・バカラック、プロデューサーとしてビリー・ジョエル、ポール・サイモンなどの世界的ヒット作品を数多く手掛けた。
グラミー受賞 14回・ノミネート 32回 |
1934年1月5日 | 2013年3月30日 | 79 | プロデュース | za |
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ルー・レイズナー
Lou Reizner アメリカの音楽プロデューサー、マーキュリー・レコードのヨーロッパ事業責任者。ロッド・スチュワートの最初のソロ・アルバム2枚、ザ・フーのロック・オペラ『Tommy』オーケストラ版、リック・ウェイクマン『Journey To The Center Of The Earth』をプロデュース。 デヴィッド ボウイの米国契約を手配した。
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1934年 | 1977年6月26日 | 43 | プロデュース | ロック | us |
ジョニー・ハモンド・スミス
Johnny Hammond Smith アメリカのソウルジャズのオルガン奏者。歌手ナンシー・ウィルソンの伴奏者としてキャリアをスタート。プレスティッジや CTI の姉妹レーベル KUDU を経てサウンドはますますファンキーになり、マイゼル兄弟プロデュース『Gears』(1975) で頂点に達した。
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1933年12月16日 | 1997年6月4日 | 63 | オルガン | ジャズ | us |
アメリカの世界的なユダヤ人音楽プロデューサー、映画プロデューサー。ママス&パパスの全作品(5thアルバム以外)、キャロル・キングの2ndアルバム『Tapestry』15週連続全米1位などをプロデュース。ロサンゼルスの人気スポット「ロキシー・シアター」を所有。
グラミー受賞 2回・ノミネート 5回(2024年時点)
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1933年12月13日 | 1933年12月13日 | プロデュース | us |
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1933年12月1日 | 2006年1月6日 | 72 | 男性歌手 | R&B | us |
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イングランドのミュージシャン。アレクシス・コーナー (1928–1984) の影響を受け、1962年に John Mayall & The Bluesbreakers を結成。エリック・クラプトン、ジャック・ブルース(ともにCream)、ピーター・グリーン、ミック・フリートウッド、ジョン・マクヴィー(ともにFleetwoodmac)ミック・テイラー(Rolling Stones)、ハーヴィー・マンデル、ラリー・テイラー(ともにCanned Heat)、アンディ・フレイザー(Free)、エインズレー・ダンバー(Mothers of Invention、Journey、Whitesnake)、ジョン・ハイズマン(Colosseum)らを輩出し、イギリスのブルース・ロック・ブームを牽引した。
See Also
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1933年11月29日 | 2024年7月22日 | 90 | ギター | ブルース | eg |
1933年11月3日 | 2011年1月30日 | 77 | 作曲家 | 映画音楽 | eg |
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ゲイリー・マクファーランド
Gary McFarland
ここまで
アメリカの作曲家、編曲家、指揮者、ヴィブラフォン奏者。オーケストラを率いアントニオ・カルロス・ジョビンと共演し、アメリカでのボサノヴァ普及に貢献した。『The In Sound』(1966) にバークリー留学中だった渡辺貞夫の参加。1968年、ノーマン・シュワルツ、ガボール・ザボ、カル・ジェイダーらと Skye Records 設立。ソフト・ロックの名盤ウェンディ&ボニー『Genesis』(1969) をプロデュースした。
グラミー賞ノミネート4回
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1933年10月23日 | 1971年11月2日 | 38 | ビブラフォン | ジャズ | us |
アル・シャックマン
Al Schackman アメリカのジャズ・ギタリスト。1957年から2000年までニーナ・シモンの伴奏者として活動した。
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1933年10月5日 | 1933年10月5日 | ギター | ジャズ | us |
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ロニー・ロス
Ronnie Ross イングランドのバリトン・サックス奏者。ビートルズ「Savoy Truffle」(1968)、ルー・リード「Walk On The Wild Side」(1972) の演奏が有名で、13歳の少年だったデヴィッド・ボウイがサックスを習った。ブライアン・フェリー『Another Time, Another Place』(1974) 、バーシア『London Warsaw New York』(1989) など多数のレコーディングに参加。1958年、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演。翌年、モダン・ジャズ・カルテットと共にヨーロッパをツアーした。
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1933年10月2日 | 1991年12月12日 | 58 | サックス | ジャズ | us |
シシー・ヒューストン
Cissy Houston アメリカのゴスペル・シンガー。ホイットニー・ヒューストンと元NBA選手ゲイリー・ガーランドの母。歌手のディオンヌ・ワーウィックとディー・ディー・ワーウィックの叔母、オペラ歌手レオンタイン・プライスの従妹。エルヴィス・プレスリー、ジミ・ヘンドリックスらのバックコーラスを経て、1963年にソロデビュー。1970年代はハービー・マンと組み、ディスコソングをヒットさせた。『Face to Face』(1996) 『He Leadeth Me』(1997) でグラミー賞を受賞した。 グラミー受賞2回・ノミネート2回 |
1933年9月30日 | 2024年10月7日 | 91 | 女性歌手 | ゴスペル | us |
ジーン・ハリス
Gene Harris |
1933年9月1日 | 2000年1月16日 | 66 | ピアニスト | ジャズ | us |
アメリカの偉大なジャズ・サックス奏者。膨大なレコーディングに参加した。
グラミー受賞12回・ノミネート23回(2024年時点)
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1933年8月25日 | 2023年3月2日 | 89 | サックス | ジャズ | us |
ランディ・スパークス
Randy Sparks アメリカのシンガーソングライター、俳優。1961年、フォーク合唱団「ニュー・クリスティ・ミンストレルズ」を結成。デビューアルバム『Presenting the New Christy Minstrels』(1962) がグラミーを受賞し、ビルボード200アルバムチャートに2年間留まった。アルバムからは日本の音楽教科書にも掲載された「グリーングリーン」の原曲「Green, Green」など、さまざまな曲がヒット。音楽活動と並行していくつかの映画に出演した。
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1933年7月29日 | 2024年2月11日 | 90 | 男性歌手 | フォーク | us |
ロンドン出身のクラシック・ギタリスト。卓越したテクニックでキング・クリムゾンのロバート・フリップが愛聴。オーストラリアのクラシック・ギター奏者ジョン・ウィリアムスとのデュオは、20世紀屈指の女性ギタリストのイダ・プレスティ&アレクサンドル・ラゴヤやアサド兄弟と並ぶ20世紀の代表的ギター・デュオとして記憶されている。
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1933年7月15日 | 2020年8月14日 | 87 | ギター | クラシック | eg |
ラシッド・アリ
Rashied Ali アメリカのジャズ・ドラマー。ジョン・コルトレーン最後のスタジオ・アルバム『Expression』(1967) やアリス・コルトレーンとの演奏で知られている。本名ロバート・パターソン (Robert Patterson)。退役後、フィリー・ジョー・ジョーンズに師事しソニー・ロリンズとツアーを開始。1985年、ゼア・ゴーズ・ザ・ネイバーフッド (There Goes the Neighborhood) 結成 (Rashied Ali, Jaco Pastorius, Jorma Kaukonen, Doug McClean, Whitie Melvin, Ben Prevo)。灰野敬二、ビル・ラズウェルとともに前衛音楽バンド「パープル・トラップ」(Purple Trap) を結成し『Decided...Already the Motionless Heart of Tranquility, Tangling the Prayer Called "I"』(1999) をリリースした。
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1933年7月1日 | 2009年8月12日 | 76 | ドラム | ジャズ | us |
1933年5月3日 | 2006年12月25日 | 73 | 男性歌手 | ファンク | us |
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アメリカの世界的カントリー・シンガー、ソングライター、ギタリスト、俳優。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2011年88位、「偉大な100人のギタリスト」77位。1975年、カントリーの名曲「Blue Eyes Crying in the Rain」(邦題「雨の別離」)のカバーでカントリー・チャート1位、グラミー賞「ベスト・カントリー・男性ボーカル」受賞。保守的なカントリー界にあってヒッピー的なスタイルから異端児と見られたが、ボブ・ディランなどの若い世代から支持された。1985年、ジョニー・キャッシュ、クリス・クリストファーソン、ウェイロン・ジェニングスらとハイウェイマン結成した。
グラミー受賞 12回・ノミネート 57回(2024年時点) |
1933年4月29日 | 1933年4月29日 | 男性歌手 | カントリー | us |
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1933年4月25日 | 2011年8月22日 | 78 | 作詞家 | ポップ | us |
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モンセラート・カバリェ
Montserrat Caballé スペインのオペラ歌手(ソプラノ)。優れたベルカント歌唱技術とロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティらのベルカント・オペラの諸役での優れた歌唱で名高い。
カバリェを尊敬していたフレディ・マーキュリーとのデュエット「Barcelona」は1992年バルセロナオリンピックのテーマソングとなった。
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1933年4月12日 | 2018年10月6日 | 85 | 女性歌手 | オペラ | es |
アメリカの音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア。1960–1970年代にかけて、フィフス・ディメンション、アソシエイション、ママス&パパスなど、サンシャイン・ポップのヒット曲、オーネット・コールマン、アーマッド・ジャマル、エルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、モンキーズ、タートルズ、トム・ウェイツ、アラン・プライスなどを手掛けた。
グラミー受賞 1回・ノミネート 7回(2024年時点) エンジニア
プロデュース
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1933年3月18日 | 1933年3月18日 | プロデュース | us |
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アメリカの歴史的な音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、トランペット奏者、指揮者。マイケル・ジャクソンや「We Are The World」をプロデュースし、売上世界一でギネスブックに登録された。本名「Quincy Delight Jones Jr.」。レイ・チャールズ (1930–2004, 73)とフランク・シナトラ (1915–1998, 82) とは生涯の友情を築いた。
グラミー受賞 28回・ノミネート 88回
プロデュース作品
Albums
Singles
トリビア
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1933年3月14日 | 2024年11月3日 | 91 | プロデュース | ジャズ | us |
1933年3月13日 | 1933年3月13日 | 作曲家 | ポップス | us |
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マイケル・ジェフリー
Mike Jeffery
イングランドの音楽マネージャー。アニマルズのマネジメント、その後はチャス・チャンドラーと共同でジミ・ヘンドリックスのマネジメントを手掛けた。
アニマルズ
ジミ・ヘンドリックス
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1933年3月13日 | 1973年3月5日 | 39 | マネージャー | ロック | eg |
アメリカのR&B・ロックンロールの歌手。1952年、デイヴ・バーソロミューがプロデュースした「Lawdy Miss Clawdy」が大ヒットし人気歌手となった。1967年、伝説のジャズ・クラブ「バードランド」の跡地を取得し「ターンテーブル」をオープン。1970年代は興行師ドン・キングに協力してモハメド・アリとジョージ・フォアマンの試合や、ジェームス・ブラウンとB.B.キングなどをプロモートした。1993年にジェリー・リー・ルイス、リトル・リチャードらとヨーロッパツアーを行い、2005年にジェリー・バトラー、ジーン・チャンドラー、ベン・E・キングと共にツアーに参加した。1998年、ロックの殿堂入り。
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1933年3月9日 | 2021年5月6日 | 88 | 男性歌手 | R&B | us |
トミー・タッカー
Tommy Tucker アメリカ合衆国オハイオ州スプリングフィールド出身のブルースシンガ、ソングライター、ピアニスト。1964年「Hi-Heel Sneakers」(Checker) 全米11位・全英23位 (Pd: Herb Abramson)。1960年代後半に音楽業界を離れ、不動産業者やライターとして働き、アメリカの黒人の苦境と無知、白人中心のメディアによる黒人からの搾取について記事を書いた。
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1933年3月5日 | 1982年1月22日 | 48 | 男性歌手 | ブルース | us |
1933年3月3日 | 1976年4月7日 | 43 | ベース | ジャズ | us |
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アーニー・ケイドー
Ernie K-Doe |
1933年2月22日 | 2001年7月5日 | 68 | 男性歌手 | R&B | us |
アメリカの偉大なジャズ・シンガー、ピアニスト、作曲家、編曲家。クラシック、ゴスペル、ブルース、フォークなど幅広い音楽性、ショパン、リスト、ラフマニノフなどをレパートリーした高度な演奏力に加え深遠な表現力を有した。ローリング・ストーン誌「偉大な200人のシンガー」2023年21位。
グラミー賞ノミネート
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1933年2月21日 | 2003年4月21日 | 70 | 女性歌手 | ジャズ | us |
オノ・ヨーコ
Yoko Ono
日本出身の前衛芸術家・音楽家・平和運動活動家。ジョン・レノンの妻として世界的に有名。
グラミー受賞 2回・ノミネート 5回(2024年時点)
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1933年2月18日 | 1933年2月18日 | 女性歌手 | 実験音楽 | jp |
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サッシャ・ディステル
Sacha Distel フランスの歌手、ギタリスト、作詞家、俳優。1970年「Raindrops Keep Falling on My Head」全英10位、「Scoubidou」や「The Good Life」がヒットした。1963年、ディステル作詞「The Good Life」をトニー・ベネットが歌いヒット。ケニー・クラーク、ライオネル・ハンプトンらと共演。一時期ブリジット・バルドーと交際していた。
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1933年1月29日 | 2004年7月22日 | 71 | 男性歌手 | ポップ | fr |
ジャン・ルイ・ヴィアール
Jean-Louis Viale |
1933年1月22日 | 1984年5月10日 | 51 | ドラム | ジャズ | fr |
カーティス・フラー
Curtis Fuller アメリカのジャズ・トロンボーン奏者。ソウル・ジャズの「Five Spot After Dark」が有名。ユセフ・ラティーフのバンドに参加し、1957年にプレスティッジ・レコードに初リーダーアルバムを録音し、同年ジョン・コルトレーン『Blue Train』に参加。1961年から1965年までジャズ・メッセンジャーズに所属。
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1932年12月15日 | 2021年5月8日 | 88 | トロンボーン | ジャズ | us |
アメリカのジャズ・トランペット奏者、音楽講師。高校在学中にライオネル・ハンプトンと共演。ウェイン州立大学、マンハッタン音楽院で学んだ後、1955年、初リーダーアルバム『Byrd Jazz』リリース。その後、ジョージ・ウォーリントンのバンド、ジャズ・メッセンジャーズに参加。1960年代以降はジャズとゴスペル、R&B、ファンクなどの融合を試み、1975年の「Walking in Rhythm」がグラミー賞にノミネートされた。
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1932年12月9日 | 2013年2月4日 | 80 | トランペット | ジャズ | us |
アメリカの世界的ロックンロール・シンガー、ソングライター。チャック・ベリーやファッツ・ドミノらと共に初期のロックンロールを形成した。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」12位。ポール・マッカートニー、プリンスらに影響を与え、エスケリータに影響を受けた。1955年、ロイド・プライスのアドバイスで、スペシャルティ・レコードにデモレコードを送り契約。サム・クックを手掛けたロバート・ブラックウェルのプロデュースによりデビュー。彼のバックバンド「ザ・アップセッターズ」では、ジミ・ヘンドリックス、オーティス・レディング、ビリー・プレストン、ビリー・コックス、ボビー・コールドウェルなどがプレイした。
印税問題スペシャルティ・レコードとアーティストとの契約書では、アート・ループとレーベル幹部が楽曲の所有権と出版権を持つことになっていた。リトル・リチャードは楽曲の所有権を譲渡した代わりに印税の50%を受け取ったと伝えられている。彼の伝記には「Tutti Frutti」の出版権を50ドルで売却したと記されており、レコード販売1枚につきわずか0.5セントの印税しか残らなかった。1959年、リトル・リチャードはレーベルを離れ、印税を受け取っていないとして訴訟。11,000ドルで和解し、「Tutti Frutti」や「Long Tall Sally」などのヒット曲の印税の権利を放棄した。 |
1932年12月5日 | 2020年5月9日 | 87 | 男性歌手 | ポップ | us |
エセル・エニス
Ethel Ennis |
1932年11月28日 | 2019年2月17日 | 86 | 女性歌手 | ジャズ | us |
アメリカのR&B歌手。ビリー・ワード&ヒズ・ドミノズ、ドリフターズの元シンガー。1953年、ドリフターズを結成するためビリー・ワード&ザ・ドミノスを脱退。後任にジャッキー・ウィルソンが加入した。同年「Money Honey」R&Bチャート23週間1位・売上200万枚。エルヴィス・プレスリーやリトル・リチャードによってカバーされ、ローリング・ストーン誌誌「偉大な500曲」252位。
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1932年11月15日 | 1972年6月13日 | 39 | 男性歌手 | R&B | us |
1932年11月15日 | 1932年11月15日 | 女性歌手 | ジャズ | eg |
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カナダのピアニスト。1960年代のフリー・ジャズ・ムーブメントに貢献。革新的なトリオ演奏で影響を与え、またモーグ・シンセサイザー奏者の草分けとして1969年にライヴ演奏を行った。1953年、チャールズ・ミンガスのレーベルから『Introducing Paul Bley』リリース。チャーリー・パーカー、チャールズ・ミンガス、オーネット・コールマン、ソニー・ロリンズ、セシル・テイラー、アーチー・シェップ、サン・ラ、アネット・ピーコックらと共演。世界中をツアーし、100枚以上の音源をリリースした。前妻はカーラ・ブレイ。
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1932年11月10日 | 2016年1月3日 | 83 | ピアノ | ジャズ | ca |
アメリカ合衆国テキサス州出身のブルース・ギタリスト、シンガー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年56位。 16歳の時、ジョン・リー・フッカー「Boogie Chillen」(1948) を聴いてギターを開始。1956年、セッション・ギタリストとして初レコーディング。1958年、1stングル「The Freeze」リリース。ロバート・クレイ、ジョニー・コープランドとのセッション・アルバム『Showdown!』(1985) でグラミー賞「最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム」を受賞した。フェンダー・テレキャスターから称号「テレキャスターの巨匠」を得た。 グラミー受賞 1回・ノミネート8 回 |
1932年10月1日- | 1993年11月24日 | 61 | ギター | ブルース | us |
カナダのピアニスト、作曲家。「バッハの再来」と賞賛され、演奏力のみならず、端正な容貌と奇行で一躍時の人となった。
グラミー受賞 4回・ノミネート 21回
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1932年9月25日 | 1982年10月4日 | 50 | ピアノ | クラシック | ca |
アメリカのカントリー・ミュージックの歌手。カントリー・ミュージック殿堂入りとカーネギー・ホールで演奏を達成した初の女性。1961年、ウィリー・ネルソンが書いた「Crazy」で全米9位。ローリング・ストーン誌「偉大なシンガー」2023年13位。
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1932年9月8日 | 1963年3月5日 | 30 | 女性歌手 | カントリー | us |
ウォルター・デイヴィス・ジュニア
Walter Davis Jr. |
1932年9月2日 | 1990年6月2日 | 57 | ピアノ | ジャズ | us |
トゥルーディ・ピッツ
Trudy Pitts |
1932年8月10日 | 2010年12月19日 | 78 | オルガン | ジャズ | us |
アメリカのジャズ・ハープ奏者、作曲家。「1950年代の最も過小評価されたジャズの巨匠」「最も優れたモダン・ジャズ・ハープ奏者」と評され、バックグラウンド楽器として使われていたハープをジャズの即興楽器として確立。『The Rubaiyat of Dorothy Ashby』(1970) では日本の琴を使用した。ビル・ウィザース、スティーヴィー・ワンダー、ミニー・リパートン、ボビー・ウーマック、アンジー・ストーンらの名盤にクレジットされている。
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1932年8月6日 | 1986年4月13日 | 53 | ハープ | ジャズ | us |
オーストリア出身のジャズ、フュージョンのピアニスト。1970年代よりシンセサイザーを駆使し多大な影響を与えた。ウェザー・リポート解散後はソロ活動に専念。ワールド・ミュージックに傾倒しエレクトロニカとの融合を図った。 グラミー受賞 1回・ノミネート 2回
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1932年7月7日 | 2007年9月11日 | 75 | ピアノ | ジャズ | at |
ビッグ・ディー・アーウィン
Big Dee Irwin |
1932年7月6日 | 1995年8月27日 | 63 | R&B | us |
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ラロ・シフリン
Lalo Schifrin |
1932年6月21日 | 1932年6月21日 | 作曲家 | 映画音楽 | ar |
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ティナ・ブルックス
Tina Brooks アメリカのジャズ・サックス奏者。1951年、プロとして活動開始しライオネル・ハンプトンと共演し。1958年にブルーノートと契約し、ケニー・バレル、フレディ・ハバード、ジャッキー・マクリーン、フレディ・レッド、ジミー・スミスのアルバムに参加した。1961年に薬物依存で録音をやめ、肝臓障害で早世した。
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1932年6月7日 | 1974年8月13日 | 42 | サックス | ジャズ | us |
アメリカのジャズ・サックス奏者、クラリネット奏者、編曲家、作曲家、バンド・リーダー、音楽プロデューサー。アルバム『The Blues And The Abstract Truth』(1961/Impulse!) とネルソン作の収録曲「Stolen Moments」が有名。
グラミー賞ノミネート 4回
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1932年6月4日 | 1975年10月28日 | 43 | 作曲家 | ジャズ | us |
アメリカの音楽プロデューサー。主にボブ・ディラン、ボブ・ディラン「Like A Rolling Stone」(1956)、サイモン&ガーファンクル『Sounds Of Silence』(1966)、レナード・コーエン『Songs From A Room』(1969) などを手掛けたことで有名。
See Also
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1932年5月14日 | 2015年8月14日 | 83 | プロデュース | フォーク | us |
ワルター・ワンダレイ
Walter Wanderley |
1932年5月12日 | 1986年9月4日 | 54 | オルガン | ボサノヴァ | br |
1932年4月26日 | 2018年11月7日 | 86 | 作曲家 | 映画音楽 | fr |
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スライド・ハンプトン
Slide Hampton アメリカのジャズ・トロンボーン奏者、作曲家。さまざまな楽団に参加した後、ハーバード大学などで教鞭を執った。1998年、ディー・ディー・ブリッジウォーターの編曲でグラミー賞を受賞した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 5回 |
1932年4月21日 | 2021年11月18日 | 89 | トロンボーン | ジャズ | us |
ジェリー・グラナハン
Gerry Granahan |
1932年4月20日 | 2022年1月10日 | 89 | プロデュース | us |
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アメリカを代表する伝説的なカントリー・ミュージック歌手。
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1932年4月14日 | 2022年10月4日 | 90 | 女性歌手 | カントリー | us |
アメリカのロカビリー・ミュージシャン。ローリング・ストーン誌「偉大な100組のアーティスト」99位、「偉大な100人のギタリスト」2011年88位。ロックンロールの立役者としてエルヴィス・プレスリーらとともにサン・レコードの黄金期を担い、エルヴィス・プレスリー、ジョニー・キャッシュ、ビートルズ、ジミ・ヘらにカバーされた。1956年、エルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュと一回限りのミリオン・ダラー・カルテットを結成し、即興ジャム・セッションを行った。 グラミー受賞 1回・ノミネート 2回(2024年時点) |
1932年4月9日 | 1998年1月19日 | 65 | 男性歌手 | ロック | us |
アメリカ音楽界の重鎮プロデューサー。1960年代にロックの到来を読みジャニス・ジョプリン、サンタナ、ブルース・スプリングスティーン、シカゴ、ビリー・ジョエル、エアロスミス、さらにアレサ・フランクリン、ホイットニー・ヒューストン、バリー・マニロウらと契約し成功へ導いた。
グラミー受賞 4回・ノミネート 5回(2024年時点)
See Also
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1932年4月4日 | 1932年4月4日 | プロデュース | us |
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ジュニア・パーカー
Junior Parker アメリカ合衆国ミシシッピ州のブルース・シンガー。歌声は「蜜のように甘く、ビロードのように滑らか」と評される。エルヴィス・プレスリーを発掘したサム・フィリップスの目に留まり、1953年にサン・レコードと契約。「Feelin' Good」R&B5位、「Love My Baby」「Mystery Train」などがヒット。プレスリーが「Mystery Train」をカバーし、カントリー・チャート11位を記録した(ローリング・ストーン誌「史上最高の500曲」2003年77位)。脳腫瘍の手術中に39歳で死去。2001年、ブルースの殿堂入り。
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1932年3月27日 | 1971年11月18日 | 39 | 男性歌手 | ブルース | us |
マーク・マーフィー
Mark Murphy |
1932年3月14日 | 2015年10月22日 | 83 | 男性歌手 | ジャズ | us |
イングランドの音楽プロデューサー。1951年、EMIの宣伝部門に就職。1955年に同社がキャピトル・レコードを買収し、フランク・シナトラ、ペギー・リー、ディーン・マーティンなどのプロモーションを担当。その後、プロデューサーのノーマン・ニューウェルのアシスタントを経て、1960年代にブリティッシュ・インヴェイジョン初期のヒット曲をプロデュースした。
プロデュース作品
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1932年3月8日 | 2014年3月13日 | 82 | プロデュース | ポップ | eg |
南アフリカ共和国の女性歌手。「ママ・アフリカ」の名前でも知られている。1950年代にメンバー全員が女性によるグループ「ザ・スカイラークス」を結成し、西洋音楽と伝統的な南アフリカ音楽を融合した。
グラミー受賞 1回・ノミネート 9回
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1932年3月4日 | 2008年11月10日 | 76 | 女性歌手 | マラビ | za |
アメリカの世界的ロカビリー、カントリー・ミュージックのシンガーソングライター、俳優。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー21位、「偉大な100組のアーティスト」31位。ヒット曲数は世界記録保持者エルヴィス・プレスリーの151曲に迫る140曲以上で世界売上5,000万枚。クールでアウトローなルックスで「ロックの反逆性とカントリーの哀愁、フォークの語り口」といわれる独自の世界観を持ち、ウィリー・ネルソン、ボブ・ディラン、ボノたちからリスペクトされている。
グラミー受賞 13回・ノミネート 35回 |
1932年2月26日 | 2003年9月12日 | 71 | 男性歌手 | カントリー | us |
1932年2月24日 | 2019年1月26日 | 86 | 作曲家 | 映画音楽 | fr |
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ローランド・ハナ
Roland Hanna |
1932年2月10日 | 2002年11月13日 | 70 | ピアノ | ポップ | us |
1932年2月8日 | 1932年2月8日 | 作曲家 | 映画音楽 | us |
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リック・ホール
Rick Hall アメリカの音楽プロデューサー、ソングライター。アラバマ州マッスルショールズのFAMEスタジオのオーナーとして有名。「マッスルショールズ音楽の父」としてアレサ・フランクリン、オーティス・レディング、デュアン・オールマン、エタ・ジェイムスらのキャリアに貢献した。
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1932年1月31日 | 2018年1月2日 | 85 | プロデュース | R&B | us |
シリル・デイヴィス
Cyril Davies
イングランドのブルースシンガー・ハーモニカ奏者。純粋なブルースマンで、R&B化するブルース・インコーポレイテッドを脱退し自身のバンドを結成した。
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1932年1月23日 | 1964年1月7日 | 31 | 男性歌手 | ブルース | eg |
ジョニー・アダムス
Johnny Adams アメリカのR&B歌手。カントリー的なサザン・ソウルで知られる。1986年、アール・キングとともに来日公演を行った。
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1932年1月5日 | 1998年9月15日 | 66 | 男性歌手 | R&B | us |
アメリカのギタリスト。エルヴィス・プレスリーの伴奏で著名。ローリング・ストーン誌「偉大なギタリスト」2003年44位、2011年29位 。
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1931年12月27日 | 2016年6月28日 | 84 | ギター | ロック | us |
アラン・クレイン
Allen Klein アメリカの音楽マネージャー。ビートルズとローリング・ストーンズを食い物にしたことで有名。1967年、レコード会社を買収してアブコ・レコードと改名。アップル・コアの改革に乗り出したが不正経理が発覚し訴訟合戦に発展。アップル・コアがクレインに420万ドルを支払い関係を清算した。
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1931年12月18日 | 2009年7月4日 | 77 | 実業家 | ロック | us |
ダニー・リッチモンド
Dannie Richmond アメリカのジャズ・ドラマー。チャールズ・ミンガスとの仕事でよく知られている。『Chet Baker Sings』(1956) やジョー・コッカー、エルトン・ジョン、マーク・アーモンドなどの録音に参加。
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1931年12月15日 | 1988年3月16日 | 56 | ドラム | ジャズ | us |
アメリカのジャズ・ピアニスト。1959–1963年、マイルス・デイヴィス・クインテットに参加。『Kind of Blue』収録「Freddie Freeloader」やジョン・コルトレーン「Naima」を演奏。
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1931年12月2日 | 1971年4月12日 | 39 | ピアノ | ジャズ | us |
アメリカのコルネット奏者。「Work Song」(1960) の作曲者として知られ、ファンキー・ジャズを代表するプレイヤー。1954年、ライオネル・ハンプトン楽団での活動を経て、1955年に兄キャノンボール・アダレイとバンドを結成。長きに渡って兄をサポートした。
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1931年11月25日 | 2000年1月2日 | 68 | コルネット | ジャズ | us |
アメリカのR&Bのギタリスト、シンガーソングライター、ピアニスト、音楽プロデューサー、タレント・スカウト。草創期のロックに大きな影響を与えた。1951年、初期のロックンロール「Rocket 88」をジャッキー・ブレンストンと録音。ティナ・ターナーとアイク&ティナ・ターナーを結成し、1960–1970年代にかけて数々のヒットを飛ばした。ふたりは1962年に結婚(1978年離婚)。チャカ・カーンなとをスカウトした。 グラミー受賞 2回・ノミネート 7回 |
1931年11月5日 | 2007年12月12日 | 76 | ギター | R&B | us |
アメリカのジャズ・アルトサックス奏者。ビリー・ジョエル「Just the Way You Are」(素顔のままで)のソロが有名。スティーリー・ダン、ポール・サイモンとも共演し、グラミー賞を4度受賞。ベニー・グッドマン、ディジー・ガレスピーといったレジェンドの世界ツアーに同行した。チャーリー・パーカーの死後、パーカーの内縁の妻チャン・パーカー (1925–1999, 74) と結婚し遺児の継父となった。 グラミー受賞 4回・ノミネート 18回 |
1931年11月2日 | 2015年9月29日 | 83 | サックス | ジャズ | us |
ハロルド・バティスト
Harold Battiste |
1931年10月28日 | 2015年6月19日 | 83 | サックス | ジャズ | us |
アンソニー・ニューリー
Anthony Newley イングランドの俳優、歌手、作詞家、映画製作者。「イギリスのアル・ジョルソン」と呼ばれ、歌・舞台・映画で成功を収めた。1959–1962年にかけて全英1位2曲を含む12曲を全英TOP 40に送り込み、サミー・デイヴィス・ジュニア「What Kind of Fool Am I?」(1962) でグラミー賞最優秀楽曲賞を受賞。「Feeling Good」(1964) を作曲しニーナ・シモン、ジョン・コルトレーンらがカバーした。彼の曲はトニー・ベネット、バーブラ・ストライサンド、マイケル・ブーブレ、マライア・キャリー、フィオナ・アップルなど、さまざまな歌手に歌われている。
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1931年9月24日 | 1999年4月14日 | 67 | 作詞家 | ジャズ | eg |
リトル・ウィリー・リトルフィールド
Little Willie Littlefield |
1931年9月16日 | 2013年6月23日 | 81 | 男性歌手 | R&B | us |
リッチー・パウエル
Richie Powell |
1931年9月5日 | 1956年6月26日 | 24 | ピアノ | ジャズ | us |
ジョージ・バトラー
George Butler アメリカのジャズ・プロデューサー、A&Rマン。1960–1990年代にかけてブルーノート、コロムビア、ユナイテッド・アーティスツで著名アーティストと契約。ハワード大学で学んだ後、コロンビア大学で音楽教育の修士号を取得。1980年にマイルス・デイヴィスを説得しレコーディングに復帰させた。
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1931年9月2日 | 2008年4月9日 | 76 | プロデュース | ジャズ | us |
フランスのジャズ・ピアニスト、編曲家、作曲家。ボリス・ヴィアンとセルジュ・ゲンズブールのサイドマンとして著名。1965年「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」で優勝したフランス・ギャル「夢見るシャンソン人形」(Poupée de cire, poupée de son) のオーケストラ指揮者を務めた。1973年、ルネ・ラルー監督のアニメ映画『ファンタスティック・プラネット』(La Planète Sauvage) の音楽を担当した。
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1931年8月20日 | 2023年2月13日 | 91 | ピアノ | ジャズ | fr |
ランブリン・ジャック・エリオット
Ramblin' Jack Elliott アメリカのフォーク歌手。ユダヤ系アメリカ人の家庭で育ちながらカウボーイに憧れ家出し、ウディ・ガスリーを慕い共同生活。ディランは「エリオットの息子」と自称という。
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1931年8月1日 | 1931年8月1日 | 男性歌手 | フォーク | us |
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アメリカの巨匠ジャズ・ギタリスト。1951年、ディジー・ガレスピー楽団に加入。1955年にニューヨークで活動を移しブルーノートと契約。1963年、名盤『Midnight Blue』をリリースした。
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1931年7月31日 | 1931年7月31日 | ギター | ジャズ | us |
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ソニー・クラーク
Sonny Clark アメリカのジャズ・ピアニスト。当時アメリカではヒットしなかった『Cool Struttin'』(1958) が日本で人気を博し、ブルーノート創設者アルフレッド・ライオンは日本からの注文殺到を不思議に思ったという。1963年1月13日、ヘロインの過剰摂取により31歳で他界。
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1931年7月21日 | 1963年1月13日 | 31 | ピアノ | ジャズ | us |
アラン・ダクラス
Alan Douglas
アメリカのロシア系ユダヤ人移民の音楽プロデューサー、ダグラス・レコードの経営者。マイルス・デイヴィス、ジミ・ヘンドリックス、ジョン・マクラフリンの他、デューク・エリントン、マックス・ローチ、チャールズ・ミンガス『Money Jungle』(1963) を手掛け、ニューポート・ジャズ・フェスティバルの創設者ジョージ・ウェインが「ジャズ史上最高のピアノ・トリオ・レコーディングの一つ」と評した。ジミ・ヘンドリックスの死後、未発表音源のプロデュース権を獲得し、リリースした『Crash Landing』と『Midnight Lightning』は物議をかもした。1995年、ジミの父アルにアーカイブの管理権を譲渡。法廷闘争の末、ジミの著作をまとめた『Starting At Zero』を出版した。
プロデュース作品
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1931年7月20日 | 2014年6月7日 | 82 | プロデュース | ロック | us |
音楽史上重要なブラジルの歌手、ギタリスト。アントニオ・カルロス・ジョビンやヴィニシウス・ヂ・モライスらとボサノヴァを創成した。1959年にアストラッド・ジルベルトと結婚。1965年にシコ・ブアルキの姉で歌手のミウシャと再婚しベベウ・ジルベルトを授かった。 グラミー受賞 2回・ノミネート 6回 |
1931年6月10 | 2019年7月6日 | 88 | 男性歌手 | ボサノヴァ | br |
シャーリー・ベレット
Shirley Verrett |
1931年5月31日 | 2010年11月5日 | 79 | 女性歌手 | オペラ | us |
アメリカのジャズ・サックス奏者。マイルス・デイヴィス『Dig』、チャールズ・ミンガス『直立猿人』、ソニー・クラーク『Cool Struttin'』に参加。16歳の天才ドラマー、トニー・ウィリアムスをスカウトした。
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1931年5月17日 | 2006年3月31日 | 74 | ピアノ | ジャズ | us |
アメリカのジャズ・ポップス歌手。1950年代のアメリカで大人気を博し約600曲をレコーディングした。高校生のエルヴィス・プレスリーが初めて公の場で歌ったひとつは、1952年に全米1位を獲得したテレサの「Till I Waltz Again With You」(邦題「思い出のワルツ」)である。ルイ・アームストロングの名曲「What a Wonderful World」(1967・邦題「この素晴らしき世界」)を作詞作曲した大物プロデューサーのボブ・シールと再婚した。
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1931年5月7日 | 2007年10月17日 | 76 | 女性歌手 | ポップ | us |
リチャード・グルーヴ・ホームズ
Richard Groove Holmes |
1931年5月2日 | 1991年6月29日 | 60 | オルガン | ジャズ | us |
スコットランド出身のスキッフル歌手、作詞家。「スキッフルの王様」と呼ばれ、1960年代のイギリスの著名ミュージシャンに影響を与えた。
Single
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1931年4月29日 | 2002年11月3日 | 71 | 男性歌手 | スキッフル | sc |
アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の音楽プロデューサー、ソングライター、歌手、マルチ楽器奏者。カデット・レコード(チェス・レコードのサブ・レーベル)でミニー・リパートン、コロムビアでモーリス・ホワイトと共同でアース・ウィンド&ファイアなどの楽曲を手掛けた。スティーヴィー・ワンダー、ブルーイ、4heroなどに影響を与えた。
プロデュース作品
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1931年3月26日 | 1976年5月17日 | 45 | プロデュース | ソウル | us |
アメリカの大物音楽プロデューサー。ハーバード大学を優秀な成績で卒業し、セシル・テイラー、ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクル、アニマルズ、フランク・ザッパ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、コニー・フランシス、ジョン・メイヨールのプロデュースした。
プロデュース作品
See Also
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1931年3月25日 | 1978年9月6日 | 47 | プロデュース | ジャズ | us |
アメリカのジャズ・ドラマー。歴史的なビル・エヴァンス・トリオ黄金期にベーシストのスコット・ラファロと共に『Portrait in Jazz』(1959)『Explorations』(1961)『Sunday At The Village Vanguard』『Waltz for Debby』(1961) など歴史的な録音に参加した。1967–1976年までキース・ジャレット・トリオに参加。
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1931年3月25日 | 2011年11月22日 | 80 | ドラム | ジャズ | us |
アメリカのドラマー。エルヴィス・プレスリーの3ピースバンド「The Blue Moon Boys」に4人目のメンバーとして参加し、ドラマーを14年間務めた。2009年、ロックの殿堂入り。
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1931年3月15日 | 2018年6月13日 | 87 | ドラム | ロック | us |
1931年2月25日 | 2023年8月13日 | 92 | プロデュース | R&B | us |
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アメリカの世界的ソウル・シンガー、ソングライター。1950年代後半の新しいR&Bの動きはやがて「ソウル・ミュージック」と呼ばれ、レイ・チャールズやジェームス・ブラウンらと牽引し、後にオーティス・レディング、シュープリームス、アイク&ティナ・ターナー、ロッド・スチュワート、アニマルズ、アレサ・フランクリン、スティーヴィー・ワンダー、キャット・スティーブンス、セリーヌ・ディオン、ビヨンセらによってカバーされた。
音楽スタイルから3つの時期に分けることができる。① ゴスペル時代(スペシャリティ・レコード) ② R&B・ジャズ時代(キーン・レコード) ③ ソウル時代(RCAビクター) グラミー賞ノミネート 6回 デビューまで
1950s
1960s公民権運動に積極的に関わり、マルコムXやモハメド・アリと親交を深めた。さらにマネージャーのJ.W.アレクサンダーとSARレコードを設立。自らの著作権を管理する画期的なレーベルで、当時の黒人アーティストは曲を作っても白人の会社に搾取され、満足な対価を得られなかった。後にレイ・チャールズやジェームス・ブラウンもこれに倣った。SARからボビー・ウーマックのザ・ヴァレンティノスが「It's All Over Now」(1964) をリリース。すぐにローリング・ストーンズがカバーし、彼らは初の全英1位を獲得した。
家族サムは最初の妻ドロレスと彼女の連れ子ジョーイと家庭を持った。ドロレスと結婚していた1953年、愛人バーバラが17歳でリンダを出産。1985年、サムはドロレスと離婚し、バーバラと再婚した。その他、3人の女性との間に少なくとも3人の子供が生まれた。
関連人物・他
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1931年1月22日 | 1964年12月11日 | 33 | 男性歌手 | ソウル | us |
アメリカの伝説的なプロモーター、俳優。歴史的なコンサート会場「フィルモア・イースト」と「フィルモア・イースト」のオーナー。壮絶な幼少期を経て、ロック創成期のサンフランシスコでグレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、ジャニス・ジョプリン、オールマン・ブラザーズ・バンドなど数千人規模のコンサートから、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランなど数万人規模の歴史的なスタジアム・コンサートをプロデュース。俳優として映画『地獄の黙示録』(1979) や『バグジー』(1991) などに出演した。
来歴
フィルモア・オーディトリアム 1966年– 1968年
フィルモア・イースト 1968年3月8日 – 1971年6月27日
フィルモア・ウエスト 1968年7月5日 – 1971年7月4日
コンサートフィルモア以外でもさまざまなコンサートや、アリーナやスタジアムでの大規模なコンサートをプロデュースした。
設立会社
映画子供の頃から俳優ジョン・ガーフィールドに憧れ、性格俳優になる夢を実現した。
サイケデリック・アート妻のボニー・マクリーン、ウェス・ウィルソン、リック・グリフィン、スタンリー・マウス、アルトン・ケリーなど新進気鋭のアーティストにフィルモアのコンサートのポスターを依頼。「Bill Graham Series」(BGシリーズ)と題された番号付きのポスター・シリーズは、1966年の「BG-0」から始まり、1972年6月のローリング・ストーンズ「Tumbling Dice」のポスター「BG-289」まで続いた。ヒッピー・カルチャーとアール・ヌーヴォーを融合したそれらの作風は、著名なサイケデリック・アートとなった。
トリビア
See Also
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1931年1月8日 | 1991年10月25日 | 60 | プロモーター | de |
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ボビー・ボイル
Bobbi Boyle |
1931年 | 2009年7月23日 | 78 | 女性歌手 | ジャズ | us |
セバスティアン・ネト
Sebastião Neto ブラジルのベーシスト、音楽プロデューサー。トム・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、セルジオ・メンデス、エドゥ・ロボ、ボッサトレスらのレコーディングとツアーに参加した。ティアン・ネト (Tião Neto) とも表記。
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1931年 | 2001年6月13日 | 69 | ベース | ボサノヴァ | br |
1930年12月4日 | 2013年12月10日 | 83 | ギター | ジャズ | us |
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マット・モンロー
Matt Monro イングランドの歌手。「黄金の声を持つ男」として知られ、30年間のキャリアを通じて国際的に活動した。フランク・シナトラはモンローの死後「最も優れた男性ボーカリストを3人選ぶとしたら、マットがその一人になるだろう。音程・発音・歌に対する理解は完璧だった」「Portrait of My Love」「My Kind of Girl」「Softly As I Leave You」「Walk Away」「Yesterday」などが全英TOP 10にチャートイン。『007 ロシアより愛をこめて』など映画のテーマ曲もレコーディングした。
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1930年12月1日 | 1985年2月7日 | 54 | 男性歌手 | ジャズ | eg |
アメリカのハード・バップ期初期のトランペット奏者。チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーら一流ミュージシャンから高い評価を受け「ファッツ・ナヴァロの再来」と呼ばれた。自動車事故の巻き添えにより25歳で急逝。5年ほどの活動期間に優れた演奏を数多く残し、ジャズ史に名を刻んだ。
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1930年10月30日 | 1956年6月26日 | 25 | トランペット | ジャズ | us |
アメリカのロックンロール・シンガー、ディスクジョッキー。「Chantilly Lace」(1958, Mercury) 全米6位・カナダ2位、「Running Bear」(1959) 全米1位・全英1位・カナダ1位、「White Lightning」(1959) カントリー1位などが大ヒット。1959年2月3日、飛行機事故で同乗していたバディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、パイロットと共に28歳で他界。一度に3人のロックンローラーが死んだことで、後にドン・マクリーン『American Pie』のフレーズにちなみ「音楽が死んだ日」と呼ばれるようになった。
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1930年10月24日 | 1959年2月3日 | 28 | 男性歌手 | ロック | us |
ロバート・パーカー
Robert Parker |
1930年10月14日 | 2020年1月19日 | 89 | 男性歌手 | R&B | us |
デル・ニューマン
Del Newman イングランドの指揮者、編曲家、音楽プロデューサー。1960–1990年代にかけてジョージ・ハリスン、エルトン・ジョン、カーリー・サイモン、ロッド・スチュワート、ポール・サイモン、キャット・スティーヴンス、ピーター・フランプトン、ハリー・ニルソン、10ccなど、ミュージシャンや映画音楽などのオーケストラ編曲を手掛けた。映画『007 死ぬのは奴らだ』(1973) 主題歌ポール・マッカートニー&ウイングス「Live And Let Die」(プロデュース:ジョージ・マーティン)のオーケストラを指揮。マッカートニーのドキュメンタリー『One Hand Clapping』(1974) と2024年にリリースされたライブアルバム『One Hand Clapping』でもオーケストラを指揮した。
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1930年10月5日 | 2020年8月10日 | 89 | 編曲家 | eg |
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アメリカ合衆国ジョージア州オールバニ出身の歌手、作曲家、ピアニスト。音楽史上、最も影響力の強い歌手のひとり。1950年代にブルース、ジャズ、R&B、ゴスペルを融合してソウル・ミュージックを創った第一人者。ルイ・ジョーダン、チャールズ・ブラウンをはじめ、特にナット・キング・コールから大きな影響を受けたという。クインシー・ジョーンズは生涯の友人。
グラミー受賞 17回・ノミネート 37回 幼少期
1940s
1950s1950年代にヒット曲を連発し、後半にはアポロ・シアターなどの黒人施設だけでなく、カーネギー・ホールやニューポート・ジャズ・フェスティバルなど大規模な公演でもメインとして出演するようになった。
1960s公民権運動が盛んになり、レイはマーティン・ルーサー・キングを支援。1961年にはマイルス・デイヴィスの推薦でベティ・カーターとツアーを開始した。
1970sサイケデリック・ロックやハードなR&Bの台頭により、1970年代までにはラジオ局であまり流されなくなった。マスタリング所有権による印税収入があるため制作意欲を失い、1968年から1973年のレコーディングの多くは賛否両論となった。アルバム『A Message from the People』(1972) は当時人気だったプログレッシブ・ソウルに傾倒。
1980s
1990s
2000s
名誉
トリビア
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1930年9月23日 | 2004年6月10日 | 73 | 男性歌手 | R&B | us |
ムハル・リチャード・エイブラムス
Muhal Richard Abrams |
1930年9月19日 | 2017年10月29日 | 87 | ピアノ | ジャズ | us |
アメリカの名ジャズ・サックス奏者。1956年『Saxophone Colossus』で一躍注目。1981年、ローリング・ストーンズ『刺青の男』に参加。 グラミー受賞 2回・ノミネート 7回(2024年時点) |
1930年9月7日 | 1930年9月7日 | サックス | ジャズ | us |
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ジャッキー・ブレンストン
Jackie Brenston アメリカのR&B歌手、サックス奏者。1951年、初期のロックンロール「Rocket 88」をアイク・ターナーと録音。
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1930年8月15日 | 1979年12月15日 | 49 | 男性歌手 | R&B | us |
ジャック・ドーハティ
Jack Daugherty |
1930年8月13日 | 1991年2月2日 | 60 | プロデュース | ポップ | us |
アビー・リンカーン
Abbey Lincoln |
1930年8月6日 | 2010年8月14日 | 80 | 女性歌手 | ジャズ | us |
アンディ・ホワイト
Andy White スコットランド人ドラマー。リンゴ・スターに代わって「Love Me Do」で演奏した。セッション・ミュージシャンとしてチャック・ベリー、ビリー・フューリー、ハーマンズ・ハーミッツ、トム・ジョーンズ、マレーネ・ディートリヒらと共演した。
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1930年7月27日 | 2015年11月9日 | 85 | ドラム | ロック | sc |
アニー・ロス
Annie Ross アメリカの女性ジャズ・シンガー。ヴォーカリーズ・トリオ「ランバート、ヘンドリックス&ロス」のメンバー。ドラマーのケニー・クラークと結婚し息子を儲けた。2010年、ジャズ マスターに選定。
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1930年7月25日 | 2020年7月21日 | 89 | 女性歌手 | ジャズ | eg |
ハンク・モブレー
Hank Mobley
アメリカのテナー・サクソフォーン奏者。穏やかで繊細、メロディアスなスタイルで、バップ時代最も過小評価されている一人と評された。1961年、マイルス・デイヴィス『Someday My Prince Will Come』でテオ・マセロに捧げた「Teo」に参加。
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1930年7月7日 | 1986年5月30日 | 55 | サックス | ジャズ | us |
アメリカのジャズ・ピアニスト、作曲家、教育者。14歳の時にプロとしてピアノを弾き始め、著名ジャズ評論家スタンレー・クラウチ (1945–2020) は「1945年以降のジャズでチャーリー・パーカーに次ぐ重要」と評し、アート・テイタムは「次代の大物」と絶賛。ブルーノートと長期契約していたが、演奏を見た大物プロデューサーのジョン・ハモンド がコロムビア傘下オーケー・レコードと契約させた。『The Piano Scene of Ahmad Jamal』(1959) から『Ballades』(2019) まで多数のリーダー・アルバムを録音。マイルス・デイヴィスはジャマルのリズム感覚・空間の捉え方・タッチの軽やかさ・控えめな表現に感銘し、「New Rhumba」(1957) や「Ahmad's Blues」(1959 ) をカバーした。
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1930年7月2日 | 2023年4月16日 | 92 | ピアノ | ジャズ | us |
エリック・モーズホルム
Erik Moseholm デンマークのジャズ・ベーシスト、作曲家、バンドリーダー。ドン・バイアスやエリック・ドルフィーらの録音に参加。1961–1966年までデンマーク・ラジオ・ビッグバンドのリーダーを務め、1992–1997年まで コペンハーゲンのリトミック音楽院の校長を務めた。
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1930年5月13日 | 2012年10月12日 | 82 | ベース | ジャズ | dk |
リトル・ウォルター
Little Walter アメリカ合衆国 ルイジアナ州のブルース・ハーモニカ奏者。マディ・ウォーターズのバンドを経て「Juke」(1952) R&Bチャート1位。「My Babe」「Roller Coaster」ヒット。1964年、ローリング・ストーンズと英国ツアーを行った。
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1930年5月1日 | 1968年2月15日 | 37 | ハーモニカ | ブルース | us |
ボビー・マーシャン
Bobby Marchan |
1930年4月30日 | 1999年12月5日 | 69 | 男性歌手 | R&B | us |
ドイツの編曲家、指揮者、作曲家。ジャズ、R&B、ボサノヴァ、ロック、クラシック音楽で活躍した20世紀最大の編曲家の一人。ビリー・ホリデイ、アントニオ・カルロス・ジョビン、フランク・シナトラ、ダイアナ・クラールらとの作品でよく知られている。1979年、ジョージ・ベンソン『Breezin'』でグラミー賞「最優秀アレンジ」受賞。 グラミー受賞 2回・ノミネート 19回。 |
1930年4月29日 | 2016年3月8日 | 85 | 編曲 | ジャズ | de |
トム・ダウドと並ぶアメリカの巨匠レコーディング・エンジニア、音楽プロデューサー。クインシー・ジョーンズ、スティーリー・ダン、TOTO などの作品で多数のグラミー賞を受賞。ジャズ・R&B・フォーク・ロックなど様々な名盤で大きな功績を残した。レス・ポールは生涯の友。 グラミー受賞 20回・ノミネート 36回 |
1930年4月17日 | 2021年4月26日 | 91 | エンジニア | us |
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1930年4月16日 | 2003年7月1日 | 73 | フルート | ジャズ | us |
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ジョー・ポーカロ
Joe Porcaro |
1930年4月29日 | 2020年7月6日 | 90 | ドラム | ジャズ | us |
ロルフ・ハリス
Rolf Harris オーストラリア出身のテレビ司会者、俳優、歌手、ソングライター、画家。21歳で渡英し1950年代後半から子供番組の出演で人気を集めた。ミュージシャンとしては「Tie Me Kangaroo Down Sport」(1962年・邦題「悲しきカンガルー」)やビートルズのトリビュート・ソング「Ringo For President」(1964) がヒットし「グラストンベリー・フェスティバル」に5度出演した。画家としても才能を発揮し、エリザベス女王の公式肖像画を描き2005年には大英帝国勲章第3位(CBE)を受勲。2011年には「イギリスでもっとも売れた作家」となった。晩年はファミリーや子供向けのテレビや映画で「名おじいちゃん俳優」として活躍していたが、2014年に強制わいせつ罪で有罪判決を受け2017年に仮釈放された。
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1930年3月30日 | 2023年5月10日 | 93 | 男性歌手 | ポップ | au |
トミー・フラナガン
Tommy Flanagan アメリカのジャズ・ピアニスト。ソニー・ロリンズ『Saxophone Colossus』(1956)、ジョン・コルトレーン『Giant Steps』(1959) などの名盤に参加。 グラミー賞ノミネート4回 |
1930年3月16日 | 2001年11月16日 | 71 | ピアノ | ジャズ | us |
ブルー・ミッチェル
Blue Mitchell アメリカのジャズ・トランペット奏者。キャノンボール・アダレイに見出され、伸びのあるクリアな音色でハード・バップ期に人気を博した。
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1930年3月13日 | 1979年5月21日 | 49 | トランペット | ジャズ | us |
アメリカのジャズ・サックス奏者。フリージャズの先駆者として『The Shape of Jazz to Come』(1959) をリリースし、一大センセーションを巻き起こした(RS誌「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」248位)。息子はジャズドラマーのデナード・コールマン(1956年4月19日生まれ)で、オーネットの『The Empty Foxhole』(1966) などリーダー作多数で共演。
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1930年3月9日 | 2015年6月11日 | 85 | サックス | ジャズ | us |
デレク・ベイリー
Derek Bailey イングランドのジャズ・ギタリスト。1966年にロンドンに移りジョン・スティーヴンスの率いる「スポンティニアス・ミュージック・アンサンブル」のレギュラー・メンバーとなった。
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1930年1月29日 | 2005年12月25日 | 75 | ギター | ジャズ | eg |
オンジー・マシューズ
Onzy Matthews |
1930年1月15日 | 1997年11月13日 | 67 | ピアノ | ジャズ | us |